怒りは人の富と繁栄を破壊する
インド聖典『シュリーマド・バーガヴァタム』(バーガヴァタ・プラーナ)の第1巻18話。パリクシット王が怒りをコントロールできず、瞑想中の聖者の首に蛇の死骸を巻き付けたために、その聖者の息子から「7日以内に蛇に噛まれて死ぬ。」と怒りの呪いを受けてしまいます。この時の、パリークシット王の怒りと、聖者の息子シュリンギの怒りが、どのように周囲に霊的に影響していくか、聖典に書かれていない真実を、サティヤ・サイババは『Summer Showers in Brindavan 1978』の講話で解き明かしています。
『母親の胎内にいる時からクリシュナの保護を受けていたパリークシットは、非常に学識のある人物であり、自分の王国を非常に賢明に治めていました。そのような善良で高貴な王が、怒りに駆られて自制心を失い、死んだ蛇を聖者シャミーカの肩に乗せることができたのか、疑問に思うのは当然のことでしょう。
どんなに偉大な人でも、どんなに偉大な神の信者でも、怒ると自分をコントロールできなくなります。怒りは人間の最大の敵です。怒りのあまり、パリークシットは死んだ蛇をシャミーカの肩に回してしまいましたが、これを傲慢や不注意による軽率な行為として扱うことはできません。弱っている時に犯してしまった本物のミスなのです。
パリークシットは、シャミーカをはじめとするリシ(聖仙)たちが、激しく喉が渇いている自分を迎え入れようとしないことを知り、非常に腹を立てて、そこから戻る途中、死んだ蛇を拾ってシャミーカの肩に回しました。これを見たシャミーカの息子シュリンギは、しばらくしてパリクシット王がアーシュラムを去るのを見て、「7日以内にパリークシット王は蛇に噛まれて死ぬだろう。」と呪ったのです。
ここで、私たちが認識すべきことは、今回の出来事はパリークシットの一過性の怒りであり、彼の行動には残酷さも悪意もないということなのです。しかし、それを見た聖者の息子シュリンギは非常に怒り、その怒りのままに王を呪ってしまいました。王はこの呪いに気づいていませんでした。
ここで私たちは、シュリンギの呪いの理由を十分に吟味し、このような状況でダルマ(正義)が実際にどのように作用するかを理解しなければなりません。正義感の強い善良な王が意図せずに過ちを犯した場合、その結果は王だけに影響し、国民には影響しません。ラージャリシである王の中には、少しだけラジャス(激性)が残っていて、それゆえに弱っている時に怒ってしまったのです。聖者の息子シュリンギは多くの混乱をもたらしました。というのも、彼の呪いの結果、民衆も苦しみ、無防備な状態になってしまうからです。このように、王の過ちの結果は、人々にも影響を与えていたのです。実際、シュリンギには呪いをかける権利はありませんでした。
ここで私たちは、シュリンギのように呪う権利のない人が呪いをかけたことに気づきます。確かに、これはダルマ(正義)の微妙な側面です。善良で高貴な王が怒りにかまけててブラフマリシを侮辱したことや、リシがその権利がないにもかかわらず呪いをかけたことは、受け入れられていたダルマ(正義)の規範が衰退したことを象徴しています。実際、この時期にはカリ・ユガ(邪悪で不正義が横行する争闘の時代)が到来していました。
深い瞑想から覚めたシャミーカは、何が起こったのかをすぐに理解し、息子シュリンギを叱りつけました。
「王様はとても高貴で親切な方で、私たち国民の面倒をよく見てくれるんだよ。その王様が弱っている時に軽率なことをしたからといって、罵ってはいけません。お前のこの行為によって、苦行のために蓄積したすべての良いものを失ってしまったんだよ。王がたまにこのように怒りにとらわれるのは自然なことだけど、お前のような苦行者はバランスを崩して呪いをかけるべきではなかったんだよ。私たちの王国はこれからリーダーがいないと、月のない夜のようになってしまう。」
このように息子シュリンギを叱責した後、彼はパリークシット王に呪いの内容を伝えた方が良いと考えました。また、パリクシット王には、怒りがもたらす悪しき結果を伝えることにしました。
「怒りは、富と繁栄を破壊します。怒りは、その人が持っている名誉や評価を破壊します。怒りによって、富と繁栄は破壊され、名誉と尊敬は破壊され、民衆から引き離されます。プライドと怒りによって、すべてが破壊されます。怒りを持っている人は何も達成することができませんし、彼は胡散臭くなります。彼はいつも罪を犯していて、みんなが彼を諌めるでしょう。怒りは罪を助長します。」
聖者シャミーカから伝えられた怒りの悪い結果を使者を通じてパリークシットに伝えた後、使者はさらにシャミーカから伝えられたように王に伝えました。
「あなたが弱っている時にコントロールを失ったのは当然ですが、怒りを克服して責任ある行動を取ろうとすることが必要でした。しかし、私の息子のような神聖な苦行者は、あなたの過ちを見逃さず、自分をコントロールする代わりに、あなたが7日以内に蛇に噛まれて死ぬという呪いをかけました。この7日間は、常に神を思い、自分の中の善良さを促進してくだい。」
パリークシットはシャミーカのこの言葉を聞いた途端、自分の心が完全に変容し、ブラフマリシであるシャミーカに向けて、尊敬の念を込めたプラーナム(崇敬の挨拶)を伝えました。
「これは私にとって呪いではなく、偉大な贈り物です。私は自分のカルマと自分が行ったことの結果から逃れることはできません。このことに気づかせてくれたあなたに感謝しています。」
その日からパリークシットは、政府の運営の責任を閣僚に委ねることで、神を想っていました。この呪いのニュースが世界に知られるやいなや、何人ものリシたちがパリクシットに会いに来ました。彼らは、高貴で神聖な心を持つパリークシット王が呪いから免れ、長生きすることを神に祈っていました。しかし、苦行者の呪いは償うことができず、パリークシットは終わりの準備をしていました。平常心の持ち主である偉大なブラフマリシ・シャミーカも、その幸福を祈っていました。シャミーカは外面的には世界とつながっていましたが、彼の心の中にはまったく愛着がありませんでした。彼はアートマ(個我の魂としての神)と完全に融合しました。このようなブラフマーリシと神性との間には何の違いもありません。
ある時、戦いの後、ダルマラージャはクリシュナの屋敷に行き、自分の落胆と絶望を彼に伝えました。その時、クリシュナはダルマラージャに、パリークシットの将来についての詳細をすべて話し、パリークシットがいかに偉大な名前と名声を得るか、いかに彼の先人たちよりもはるかに大きな栄光を手に入れるかを話しました。また、ある聖人の呪いによって、パリークシットが蛇に噛まれて命を落とすことも話しました。
ダルマラージャにこのように話している間、クリシュナは突然、短い沈黙に陥り、ダルマラージャは完全に混乱してしまいました。数分後、ダルマラージャは、なぜクリシュナがこのように、語りの途中で沈黙したのかを尋ねました。クリシュナは、矢のベッドに横たわっているビーシュマの呼びかけに応じて行かなければならないと言いました。
聖なる心を持つ者は、真摯に祈ることで神の恩寵を得ることができます。神聖な心と神との間に違いはありません。神聖な人の祈りは、まっすぐに神の元へ届きます。そのような人は英知の体現者であり、アドワイタ(不二一元論。神は様々な名前で呼ばれているが、一つの神のみが存在する)の形をしています。彼らは、神との一体感を味わっていました。彼らは、世界には唯一の真実があり、並行する真実はないと固く信じていました。このような人々は、大きなエクスタシーの状態にあり、本当に子供のようです。だから、子供と恍惚状態にある人と狂人の状態は似ていると言われるのです。感覚の興奮がもたらす結果のために、人間は時々自分の本質を忘れてしまいます。真の人間はアーナンダ(至福)だけを求めています。本質的には無私の人でもあるのですが、感覚器官の圧力によって、物質的な欲望に執着し、神を求めてしまうのです。そのような人たちのために、大きな愛と愛情をもって、バーガヴァタ(シュリーマド・バーガヴァタム)によってクリシュナの側面が教えられています。
パリークシットは、自分の人生があと7日で終わってしまうことを知ったとき、いつも神のことを考えていました。そのような神聖な心を持っていたからこそ、偉大なリシ(聖賢)であるシュカが彼に会いに来たのです。私たちの心が純粋であれば、神聖なパラマートマ(至高神)も同様に私たちに会いに来てくれます。何か良いことを成し遂げるためには、自分の心を純粋で神聖なものにすることが非常に必要です。』
参考 :
https://www.sssbpt.info/summershowers/ss1978/ss1978-10.pdf