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2011年4月24日の復活祭の日、バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイババは肉体を離れました。スワミが人々に何を伝えようとしていたのか。肉体を離れる前にスワミは、有形から無形の神への瞑想の大切さという、意味深いメッセージを送っています。
『アヴァター(神の化身)の肉体は変化をこうむりますが、肉体に内在している神聖アートマは同じままです。アートマは遍在です。しかしながら、アートマ・グニャーナ(真我の叡智)も到達するためには、あなたの決意が純粋でなければなりません。絶えず、神聖アートマを黙想していなければなりません。神性は、どんな変化もこうむりません。神性は無属性で(ニルグナム)、純粋で(ニランジャナム)、究極の住処であり(サナータナ・ニケータナム)、永遠で(ニッティヤ)、汚れなく(シュッダ)、目覚めた(ブッダ)、解脱している(ムクタ)、神聖さの化身(ニルマラ・スワルーピナム)、意識の化身(チャイタンニャ・スワルーパ)であると描写されています。
あなたのハートに神を祀り、絶えることなく神を黙想しなさい。どんな理由があってもその御姿を変えてはなりません。あなたは必ず神を悟ります。どこかほかの場所に神を探す必要はありません。もしスワミ(サイババ)を見ることを望むなら、あなたのハートの祭壇にスワミを祀りなさい。そうすれば、必ずそこにスワミを見ることができます。
もし、スワミと自分はひとつであるという思いを持つなら、すべてはあなたにとって良いものとなるでしょう。これが今日あなたが気づかなければならないことです。神は決して変わりません。神は永遠です。この真理を悟りなさい。
肉体という衣はいっときの間存在し、その後、消滅します。後に神性は異なった姿をとります。たとえば今、みなさんは、この肉体(ババのお体)に執着しています。みなさんはこの肉体を礼拝し、そうすることで大きな満足と至福を引き出しています。けれども、そのうち、この体も過去のアヴァター(神の化身)と同様に、消えてなくなります。そのとき、みなさんは悲しむべきではありません。この肉体をまとった神聖アートマが自らの永遠の住処に到ったならば、それは喜ぶべきことであり、悲しむべきことではありません。トレータユガの時代には、ラーマ・アヴァターが降臨しました。最終的にラーマは自らの化身としての使命を果たし、サラユー河に入水して消えていきました。ドワーパラユガの時代のクリシュナ神の場合も同じです。クリシュナは森で猟師の矢に打たれ後、肉体を去りました。このように、肉の衣は一時のものであり、非真なるものです。
肉体は5元素から成り、遅かれ早かれ朽ち果てる
しかし、内在者には生も死もない
内在者は何の執着も持たぬ永遠の照覧者
実を言えばアートマの形をとったその内在者こそ、まさしく神ご自身なのだ
(テルグ語の詩)
ですから、決して肉体を永遠のものと考えてはなりません。体は時間と状況に応じて現れます。ひとたび定められた時が過ぎれば、体はただ消えるのみです。肉体によって得られた体験さえ消えてなくなります。
特定の化身の肉体の姿に執着するのではなく、無形で(ニラーカーラ)無属性の(ニルグナ)至高神(パラブラフマー)の顕現として、アヴァターに内在する「神性」に執着しなさい。時代によって神は異なるアヴァターの姿をとります。アヴァターは降臨し、自分の使命を果たし、消え去ります。ですから、神性という真実で永遠なものを瞑想しなさい。無形で(ニラーカーラ)無属性の(ニルグナ)至高神(パラブラフマー)は不変であり永遠です。それは究極の実体を表します。至高神は姿も名前も超越しています。究極の実体を、自分の神聖なハートの祭壇に祀り、絶えることなくそれを瞑想しなさい。- サティヤ・サイババ - 』
*『シュリ・サティヤ・サイ・ババ 2009年2010年講話集』P17~P28, P72~P75
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