『Mathru Devo bhava, pithru Devo bhava(母を神として崇め、父を神として崇めなさい)』という聖典の宣言を、サティヤ・サイババはよく引用します。とてもシンプルですが、自分の親の世話をすることが、どれだけ神聖な仕事であるかを、以下の講話でわかりやすくひも解いています。
『北インドやマハラシュトラ州の人々は、プンダリクの物語がとても親しまれています。プンダリクは理想的な息子で、尊敬する両親のためにすべての時間を費やしていました。親が熱を出したり、体調が悪いと、プンダリクは親に付き添い、足に触れて、あらゆる奉仕をしたものでした。今日、母親が高熱を出して寝込んでいると、息子は母親の容態を気にせず、映画館に駆けつけます。母親は、私たちにこの血、この体、この個性を与えてくれた女神であり、それゆえ、あらゆる配慮と崇拝に値します。母を蔑ろにすれば、人生の繁栄もなければ、善良になることもできないでしょう。
プンダリクが母親に仕えていた時、パンドゥランガ神(南インドで崇められているレンガの上に立つクリシュナ神)がそこにやって来ました。プンダリクは母の足を押していて、パンドゥランガを見ようとはしませんでした。そうこうしているうちに、彼の師であるトゥカラムもそこにやって来て言いました。
「親愛なるプンダリクよ、誰が来たかわかるか?それはパンドゥランガ神です。あなたは彼のことを気に掛けていませんね。」
プンダリクが答えました。
「二人の神を崇拝することは私にとって重要ではありませんが、エーカ・ハラ、つまり一人の神を崇拝することは私にとって重要です。」
すると、トゥカラムは言いました。
「彼は神なんですよ。」
しかし、プンダリクは答えました。
「そうです、彼もまた神です。でも、私にとっての本当の神は、私の親であり、パンドゥランガ神ではありません。私は生まれた瞬間から、この母の姿を見てきました。母は、私の体の誕生、成長、栄養、維持に責任を負っていました。ですから、私は彼女を崇拝しています。この18年間、私の目の前にいる女神は、ほんの数分現れては消えていくパンドゥランガ神よりも大切な存在です。もし、パンドゥランガが私にダルシャンを授けてくれるなら、私が母への奉仕を終えるまで待たせてください。」
プンダリクはそう言って、レンガを投げ渡し、パンドゥランガが座って待つためのアーサナ(座禅の型)のようなものにしたのです。
パンドゥランガ神でさえ、プンダリクが母親への奉仕を終えるまで待ち、それから、彼にダルシャンを授けました。
神でさえも、あなたのことを待っているのです。あなたは自分の義務を、自分の能力を最大限に発揮して、最大限の満足を得られるように果たさなければなりません。それがあなたの誓約でなければならないのです。』
(『Summer Showers in Brindavan 1972』 16. Worship your Parents P.159〜P.160)