サティヤ・サイババの守護の御手
サントーシュ・ヴェンカタラーマン氏の心温まるサティヤ・サイババの体験談です。
『それは明るい日曜日の朝でした。学生寮には、朝のダルシャン(神の拝謁)行く準備をする学生たちの喧騒が漂っていました。やがて、注目と期待でいっぱいの私たちは、全員マンディール(サティヤ・サイババのダルシャン会場)に着席しました。音楽が主の到着を告げ始めました。ある人に対しては手紙を受け取り、ある人にはヴィブーティ(神聖灰)を与え、ある人には背中を叩いて、ある人には親身に言葉をかけながら、彼は帰依者たちの間を移動していきました。彼は、学生たちが座っているブロックにたどり着き、学生たちがなぜそこにいるのか尋ねました。学生らは、今日は日曜日だから朝のダルシャンを受けに来ましたと答えました。スワミはすぐに、こう言られました。
「私にとって、日曜日も休日もありません。私にとっては、毎日が仕事の日なのです。」
実際、過去80年近くのスワミの人生のすべての分、むしろすべての瞬間は、人類の福祉のために捧げられてきました。振り返ってみると、スワミが私にしてくださったことは本当にたくさんあります。一度だけでなく、何度でも感謝する人生は、主に報いるには十分ではないでしょう。
故郷からサイ大学へ戻る旅の途中のことです。私は電車で一人旅をしていました。両親は私にいろいろと忠告してくれましたが、最も重要なことは、列車が駅に着くのが夜遅いので、夜明けまで駅に残っていることでした。大学のキャンパスに行くのは朝になってからにしなさいということでした。私は了承してうなずきました。しかし、目的地に着いた時、私は夜中に出かけることにしました。言葉も土地勘もないけれども、自分の道を行くしかないのです。駅を出て、十字路まで歩きました。そこからキャンパスのあるホワイトフィールド行きのバスに乗れるはずだ、と誰かが教えてくれました。もう真夜中です。道路は、たまに車が通り過ぎるだけで、人っ子一人いません。その夜、私は既に寮への到着の望みを失い、今度は誘拐されるのではないかという恐怖が私の心に忍び込んできました。やがて、その不安を裏付けるかのように、一台のバンが私の目の前に停まりました。運転手は、私を乗せるだけでした。バンはある程度走ると、すでに乗っていた数人が降ろしました。そして、運転手と私の二人だけで車にいます。運転手は、古い車庫に着くまで、車を走らせました。運転手が「降りろ」というので、私は恐る恐る降りました。荷物を取ろうとしたら、「荷物を置きなさい。」と言うのです。そして、「こんな時間から動き回るのは危険だから、今晩は私の家に泊まりなさい。」と運転手は言いました。翌朝、キャンパスまで送ってくれるというのです。私はスワミについて行くしかなく、翌朝、スワミは私をブリンダーヴァンに送り届けてくれました。その朝、私を無事にブリンダーヴァンに連れて行ってくれたスワミに、私はただただ感謝するばかりでした。
この時、私が思い出したバガヴァンの詩があります。
“Adavilonunna Akasamunanunna
Pattanamuna Nunna Pallelonunna
Gutta Meedhanunna Natteta Nunnanu
Madhini Sai Ninnu Maravadepudu” "あなたは森にいても、空にいても、
都会の喧騒の中にいても、村にいても、
山の頂上にいても、深い水の中にいても、
サイは決してあなたを見捨てません"
神が自ら愛する人を助けに来てくださることはよくあることです。心から祈れば、主はすぐにその奉仕のために姿を現してくださるのです。
私たちのインスティテュートの学生の一人が、傷のかさぶたに悩まされ、彼の足は膿で腫れ上がっていました。彼は一歩も動けなくなったのです。彼が最後のダルシャンを受けに行ってから2週間近く経っていました。ある日、病気の少年の担任の教師も含めて、全員がダルシャンに出かけてしまいました。そのため、ホステルには、その少年以外誰もいませんでした。彼は、長い間スワミのダルシャンを受けに行くことができなかったことを悲しく思いました。しかし、すぐに自分を感情を抑えて、スワミに熱心に祈り始めました。
一方、マンディールでは、スワミが車を出すようにと言いました。スワミはその車に乗り込み、マンディールを後にしました。約30分後、スワミは戻って来て、インタビュールームに入りました。その後、バジャンが始まり、バガヴァンはアラティを受け、退席されました。
ホステルに戻ると、その少年は喜びに溢れていて、類まれな体験をみんなと分かち合おうとしていました。この少年の祈りに応えて、主は自らマンディールからはるばるやって来て、彼の部屋に入り、彼と一緒に床の寝具に座ったのです。そして、ヴィブーティを作り、それを彼の太ももの下の脚にマッサージして、彼を慰めたのです。スワミは彼を深く祝福し、ホステルを後にしました。これら全ては、ただ心からの祈りに応えただけです。言うまでもなく、数日の内にその少年は完全に癒されました。これらは、私たちの祈りに対するスワミの応答のほんの2つの例です。何百万人もの人々が毎瞬間、神に祈り、神はご自分のことを気にすることなく、それぞれの祈りに応えておられるのです。まぶたが目を守るように、すべての人を守ってくださる神に、人は何を捧げることができるでしょうか。私たちが必要を告げる前からすべてを与えてくださる主に、私たちは何を捧げることができるのでしょうか。アバターの降臨から80年目の今年、私は自分を主の蓮華の足元に捧げ、私を主の使命にふさわしい道具とするよう主に祈りましょう。』
- サントーシュ・ヴェンカタラーマン
経営・商学部 2003-2008年度生
シュリ・サティヤ・サイ高等学院
出典 : Sai Sparshan 2005 (80th Birthday Offering)
参考 :
https://sathyasaiwithstudents.blogspot.com/2020/08/the-protective-hand-of-sai-by-santosh.html?m=1