スワミがバジャンの歌われる場所にいる証拠
『神の栄光が歌われる場所にはどこでも、私は共にいる』とサティヤ・サイババは言っています。「だったら、その証拠を見せてください。」と私がお願いしたら、スワミは怒ってこう言うでしょう。
『長野の露天風呂でダルシャンを与えたのを忘れたのか?東京サイセンターの私の座る椅子の肘掛けで、お前が捧げた一輪の真っ赤な薔薇の花を、バジャンの最中に私がグシャって潰したのを見なかったのか?1995年の大阪サイセンターのマハーシヴァラートリーに参加するために、乗るバスの時間を間違えたお前のために、長距離バスの停留所までポンコツクルマで送り届けた頭モジャモジャの無精ひげの外人、あれは私だということに気づいていないのか?』
肉体的なスワミがいなくても、バジャンを歌えばスワミはそこにいてくださるということは、何度も身を持って体験しているので、『証拠』を見せてくださいなんてお願いする発想は私には思い浮かびません。
ところが長年、サティヤ・サイババのアーシュラムで、スワミの御前でマンディール・バジャンを捧げている歌手であるモーハン・ラーオが、「肉体的な存在がなくても、スワミのバジャンが歌われている場所にいる証拠を見せて欲しい。」とお願いしてしまいます。
モーハン・ラーオはインタビュールームで親しくなったスワミに、何気なく話しました。
「スワミ、毎日私たちの家でバジャンを行っていますが、たくさんの人が来て参加しています。」
するとバガヴァン・ババは即座にこう言いました。
「知っている、知っているよ、黄金のように立派な君のバジャンをみんな楽しんでいるよ。」
するとこともあろうに、スワミの面と向かって、モーハン・ラーオ氏はつい言ってしまいました。
「でも、証拠を見せてくれないと、あなたが私たちのバジャンを聞いていることをどうやって信じたらいいのですか?」
モーハン・ラーオは、スワミの神性を信じていましたが、バガヴァンがそのような発言をしたのは非常に社交辞令っぽく軽いことだと感じ、スワミが真実を言ったのかどうかを確認したいと思ったのです。 スワミは訝しげに彼を見て、こう言いました。
「よし、一つ教えてあげよう。あなたは覚えていますか?先月のある晩、大雨が降っていて、あなたの家でバジャンが始まる直前に、見知らぬ人が自転車に乗ってやってきて、私の写真用の花輪をあなたに渡したことを。あなたは覚えていますか?それは私以外の誰でもない。」
このスワミの言葉を聞いた瞬間、モーハン・ラーオは唖然としました。彼はバガヴァンの足元にひれ伏し、喜びと感謝の涙を流しました。
実は彼は毎日、バジャンが始まる前にバガヴァンの写真に花輪を持ってくるように花屋を手配していました。ある日、大雨が降ったので、彼は花屋が来ないのではないか、ババ様の写真に花飾りがないのではないかと思い、がっかりして悲しんでいました。
しかし、バジャンが始まる数分前、物凄い雨が降っていたにもかかわらず、誰かが突然自転車に乗ってやってきて、花輪を渡し、お金も取らずにすぐに去っていったのです。 モーハン・ラーオは、この花輪はいつもの花屋が送ってくれたものだろうと思っていました。ところが真実は、大雨のために花屋が直接来ることはできなかったのです。彼はこの出来事を、スワミから聞かされるまですっかり忘れていました。
バジャンが歌われる場所には、スワミはいつも一緒にいてくれます。たとえ、聴くにたえない音痴で不快な歌であったとしてもです。これは私の体験から真実です。
参考 :
愛と優しさをいっぱいありがとうございます!