![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33182666/4259f96340d7f7d3c626e19ada747823.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
2022年3月の記事一覧
ラーマーヤナで明かされなかった秘密をスワミが語る
『高みに到達するためには、勇気が必要です。どうすれば勇気を持てるようになるのでしょうか?心がクシャーマ(究極の忍耐)で満たされていれば、勇気の精神は自動的に姿を現します。 ヴィビーシャナがその典型的な例です。彼が羅刹王の兄ラーヴァナに逆らってゆラーマの側に渡る勇気を得たのは、クシャーマによるものでした。彼は「ラーマ、ラーマ、ラーマ。」と唱えながら、ラーマの陣営に到着しました。遠くでヴィビーシャナを
もっとみるダルシャンは時空や状況を超越する
『サティヤ・サイババのダルシャン(神の拝謁)を、受けたことがないですが、スワミを心から信じ愛しているある日本人男性の体験談です。彼は裕福な家庭に生まれ、物質的にも金銭的にも何不自由なく暮らしてきましたが、ただ一つだけ精神的に満たされてはいませんでした。学生時代にはイジメに遭ったり、様々な要因で心を病むようになりました。そんな彼が唯一安らげる空間は、コンピューターと向き合っている時でした。
200
スワミの御前で歌うSiva Shankari Sivananda Lagari...
あまりに強いバクティのエネルギーに魂が持っていかれるかもしれません。
トライーセッションでサティヤ・サイババとの交流
〈T.ラヴィ・クマール博士のサティヤ・サイババ体験談〉
『バガヴァンがブリンダーヴァンのアーシュラムに滞在しているとき、サイ・ラメッシュ・ホールでの夜のダルシャンの後、学生たちはマンディールに呼ばれるのを心待ちにしています。これは、神が生徒たちに個人的なレベルで主と交流する機会を与えてくださる素晴らしいトライー・セッションという機会です。このトライー・セッションは、サイの学生にサーミーピャム(
バクティの高貴な性質
『バクティ(信愛)は霊的な道への鍵であり、人生という大海原を航海するために不可欠なものです。信愛とは、単に儀式を守ること、苦行を行うこと、瞑想することを意味するのではありません。信愛とは、本当に神に対する誠実で激しい愛を意味します。それは、いかなる利己的な欲望や行動にも汚されない、純粋で堅実な愛を意味します。そのような愛には境界線がなく、あらゆる規制を超越しています。人間から神への無私の愛の自然な
もっとみるスンダー・アイアー氏がスワミを通じて体験した死の神秘
『突然バガヴァン・シュリ・サティヤ・サイババが夢に現れ、私を呼びました。私は顔を上げてバガヴァンを見ると、バガヴァンは私に手を差し出しました。ためらいながら差し出した私の手首をつかむと、バガヴァンは私を人気のない場所に連れて行きました。目の前には大きな焚き火があり、火が点いていました。炎は高く跳ね上がり(おそらく、サイ神の前では踊っているのではないかとさえ思いました)、バガヴァンはこう言いました。
もっとみる死に関して心に刻むべきこと
『ラーマとの戦いで敗れたラーヴァナの死後、その遺体を見て、実の弟のヴィヴィーシャナは通常行われる最後の儀式を行うことを嫌がりました。ヴィビーシャナは、ラーヴァナは非常に大きな罪人であり、神の化身であるラーマを悪く思っており、そのような者の葬儀を行うのは正しくないと考えました。ダルマ(正義)の化身であるラーマは、ヴィビーシャナを呼んで言いました。
「もし、ある人に対して嫌悪感があるのなら、それはその
神聖な師、サティヤ・サイババとの体験
シュリ・アディ・シャンカラは、『ヴィヴェーカ・チューダーマニ』の中で、人間の誕生、解放への願い、完全な聖者の保護は、神の恵み(Daivanugraha Hetukam)であると述べています。しかし、人間の衣をまとった至高の超越的原理である神ご自身が保護と配慮を保証するとき、それは単なる恵みの雨ではなく、神の慈悲の奔流となるのです。その神の愛に触れた者は幸いです。その愛に触れると、ちょうど朝日の前の
もっとみる凄い波動のシヴァ神のバジャン・メドレーとスワミのダルシャン
神聖なマハーシヴァラートリーの捧げられたシヴァバジャン