ジャケットがアートだった頃
【日記#71 2024/10/30(水)☂️☀️】
雨降りで頭痛に見舞われ、朝のルーティン「まいにちハングル講座」が終わっても降り続けていたので今日のウォーキングは中止に。眠たかったのでそのまま寝直し10時過ぎに起きる。するとこの日記でもよく登場する悪友Oからメッセージが入っていた。それに返信を書いている時に電話が来る。
話の内容はOが先週仕事で北海道に行った時のお土産を渡したいとのこと。しかしそれは口実のようで実際はグラフィックデザイナーの奥村靫正が倉庫に眠っていた昭和の時代の作品を展示販売するというのでそれを拝みに行こうというお誘いだった。
そんなわけで昼過ぎにOと合流してまずは昼食を食べた後、五反田にあるシティホール&ギャラリーまで行った。
実は僕も名前はあまり知らなかったのだがその作品たるや見るだけでも興奮するようなものばかり。わが家にもあるあるという絵がたくさんあった。その代表が今日のカバー写真にもなっている細野晴臣「SFX」のジャケットポスターだ。
奥村靫正は正にこの昭和を代表とする数多くの名盤のジャケットデザインを手がけた人だ。
尚、何れにも値が付いてはいたがそれはここでは言うまい。誰もが知っている有名な絵なのだからそれ相当の値は付いている。
食い入るように名盤のジャケットを見ているとうしろからなんと奥村靫正さん本人が解説までしてくれるサービス付きだった。
若い頃に夢中になったアルバムのジャケットは間違いなくアートで、そんな名盤の数々やアルバムジャケット以外の奥村靫正作品を観ることができたのはよかった。
結局作品はどれ一つとして手の出るものではなかったが、とにかく目の保養には十分過ぎる時間を過ごし、そのあとこの五反田JPビルディングの1階にあるフードコートで食事もした。
この後は港北のIKEAに行って買い物をし、Oを自宅のある石川台まで送って帰りに湘南台で給油までして帰った。
この時代のアルバムと言えばやはりLP盤でその大きさもまたジャケットがアートになり得る時代だったと思う。
僕の部屋には高橋幸宏の「薔薇色の明日」のLP盤が飾ってある。LP盤がこんなに簡単に身近なアートとなっていた頃の奥村靫正という存在はやはりとても大きいと思う■