詩と相分
【日記#91 2024/11/19(火)☁️】
今朝ニュースで詩人の谷川俊太郎さんの訃報を聞く。老衰だったらしい。若い頃自分もオンラインで詩作活動をしたことがあるので多少は詩に関する知識もあるかとおこがましくも思っているが、そこで言えることは日本には数多くの詩人がいるが、その中でも谷川俊太郎は誰もが知っているビックネームだと言うことだ。
僕も多大な影響を受けたし、同じ時期に詩人活動していた多くの仲間達が同じように影響を受けていた。
今でこそ詩を書く機会は減ってしまったがそれでもたまには詩について考えることがある。
詩がもっと生活の一部だったあの頃のことを振り返ってみる。あの頃食事をするのと同じような感覚で詩を書き、歩くことと同じような感じで推敲をした。当時と今とでは漠然とだが「認識」と言う部分で多少のズレがあった。
自分の説明はかなり下手だが、物事の認識の段階で、「ごく普通の感覚」と「詩の感覚」の二つのチャンネルが当時はあるように感じられた。この感覚の違いは口語と文語の違いなどとはまた異なっている。
具体例で説明をしていくと、例えば「キリン」を認識する時、文字から脳に伝達をする過程でその「キリン」が動物なのか、それ以外のものなのかで篩をかけるのはごく自然のことである。こうして物事は認識されていく。この認識の対象物を難しい言葉では「相分」と言う。相分は自分の思考というフィルターを通す前から相分という独立をした存在で、相分であるうちはその概念は普遍的なものだ。
その「相分」の段階で自分の場合にはさらに「キリン」の姿形が既存のものとはまるで違うまるで新しい「キリン」と新たに認識するプロセスがあった。
たとえが拙くて恥ずかしいが「キリン」と言う相分を認識する段階で普通に認識する過程と詩的に認識する過程の両方が交錯することがある。相分に対しこれらの認識結果のことを「見分」と言い、見分が必ずしも一つの過程を辿るとは限らない。そんな現象が脳内で発生することが多かった。
詩的見分は往々にしてビジュアルを伴うことが多い。ある一点を凝視するところから始め次第にパンしていく感覚やその逆にある一点へとズームアップしていく感覚。スピードを伴う移動など自分の日常の視点のような見え方を感じることが多かった。
さらに先述の通り、既存のものとはまるで違う色、形、質感など、凡そ相分が初めから持つ既存ものとは大きくかけ離れたものが登場し、そういうものが最終的な認識点で終結する。わかりやすく書けば、キリンを認識するときに、最終的に色だけキリンのカバになっていることだってあり得る。
この詩的な感覚の見分で生まれてくるものを拾い集めてはあたかも創作をしたかのように詩に用いる。そんな詩の書き方をしていたことがあった。
この感覚は誰でも多少の訓練である程度は呼び出して使える能力だと思うが、この見分を研ぎすますためには多くの言語知識が必要だと思う。もちろん日ごろからある程度使っておく必要もある。毎日のように詩を書いていた頃はこの感覚が研ぎ澄まされていたのではないかと思うが、今となっては使う機会も稀なのでかなり感覚は鈍っている。
話を谷川さんに戻すが、大学時代の恩師でもあるアメリカ人のウィリアム・エリオット教授が谷川さんの詩を本人の協力をもとに英訳し出版した時谷川さん自ら大学に講演にいらしたことがあった。
その講演会の時に谷川さんに自由に質問をして良い時間があったので直球で、
「その詩のインスピレーションはどこから生まれてくるのですか。」
と質問したことがあった。谷川さんはそんな質問に対して、「日常生活で普通に見聞きすることから見つけることが多い」と返答をいただいたことがある。
この話だけでも熱狂的な谷川ファンから見れば、相当羨ましいことなのだろう。ただ答えがあまりに漠然としていたので理解をするのにかなりの年月がかかったと思っている。
これと似たようなことを実は手塚治虫さんも言っている。手塚さんの作品のインスピレーションは、日常を観察する能力を鍛えることから得ていると言うような話を何かのエッセイで読んだことがある。
これは目に入ってくる情報をいかに多く認知するか、それを鍛えることによって創作の能力が養われると言うことだ。
このような助言をいただいて当時から自分は観察力や洞察力のトレーニングを心がけるようになっていた。とは雖もそれが創作に役に立っている実感は乏しく、これが本当に役に立っているなと思うのは車を運転する時くらいなものである。一瞬の間にいかに多くの情報を得るか、車を運転する時にそれを意識すると眼球の動きが多くなり、配分する視点に無駄も減る。
個人的な感想ではあるが、観察力のトレーニングは相分を見定めるスピードを養うこととそれを認識する際の見分に幅を持たせることなど、自分の脳味噌をカスタマイズさせて鍛えているような気分にさえなる。
三十年以上前の谷川俊太郎さんとの出会いが、今の自分の脳内に多大な影響を及ぼすこととなっていたとたくさん詩を書いていた頃も、今もよく思うことだ。
今日用いた「相分」と「見分」の二つの言葉はずっと後になって知ったものだが、この言葉を以て振り返ると自分の観察力を後押ししてくれたのは他でもなく谷川俊太郎さんと手塚治虫さんだったのだなと、今になってつくづく思うものである。
谷川俊太郎さんの御冥福をお祈り申し上げます。またいつかお会いしましょう■