ここまでの経緯
【入院日記3 2023年2月3日(金) 19日目】
いよいよ今日は待ち遠しかった手術の日。手術そのものはやっぱり怖いし緊張もする。待ち遠しいのは手術の結果だ。そんな怖いはずの手術が待ち遠しいくらいこれまで辛い思いをしていた。
これまでの経緯はこの日記の「入院日記」やその序章などに書いてある。しかしそれを探して読めなんてことは言わないので簡単にこれから書く。
話は2020年夏、突然のぎっくり腰から日に日に立って歩くこともままならない状態へとなり、救急車で我が家の目と鼻の先にある横浜医療センターに運ばれる。それが8月21日のこと。診断は化膿性脊椎炎で脊椎が黄色ブドウ球菌の感染によって壊死し大きな穴が開いていた。
入院はするも持病の糖尿病の状態も悪く寝たきりの状態で半月後の9月4日に補強の鉄の棒をボルトで固定させる手術を受ける。これが1回目の手術。そして人生初の大手術だった。補強をして骨の再生を待つことにした。
その後リハビリなどを続け2020年10月24日に退院。しかし入院中に事態はあまりよくないので生活習慣を改めるように指導も受ける。ガチガチで巨大な硬性コルセットを装着し、自分を一本の丸太のように動かすように言われる。腰を曲げたり捻ったりすることは禁止、リハビリでもその動きを徹底的にトレーニングされる。
退院後の生活も布団からベッドに、ちゃぶ台からテーブルの生活に変わる。その間も骨が再生するまでは禁止動作に細心の注意を払う日々を過ごす。
しかしながらボルトを止めていた脊椎のいくつかに緩みが見られさらに大きな金具を広い範囲にわたって固定し、骨の再生も見られないので移植をする必要ありと診断。2021年3月8日に再入院。一週間の血糖値コントロール期間を経て3月15日にまずは金具の掛け替え手術を、翌週3月22日には骨の移植手術を受ける。2回目の手術は1回目と同じで背中を開く。
3回目の移植手術は左脚の腓骨から骨を取り出しそれを脊椎に空いた穴に移植。そのために左の脇を開き肋骨を一本取り除く必要があった。なので今でも天気が悪かったり気圧が急に上下するとないはずの肋骨がしくしく痛く感じる。
二週立て続けに手術を受けて退院は5月15日。そこからは通院生活が始まる。さすがにこれだけの手術を受け、日常生活の動きにも気を付けていたので徐々にではあるが骨は再生し移植した骨も癒着が進み22カ月後の今回の手術に至った。
2度目の退院後の様子は「療養日記」という日記に毎日記してある。これはclubhouseで知り合った仲間とnotionを共有していて、そこに毎日日記を書いていたものをこちらに移動させて続けている。1年で一番嫌いで縁起の悪い9月1日以外は毎日日記を書いている。(勿論それを読めとは言いません)
手術後の日常は腰には負担がかからないように気をつけなければならなかった。前屈はできないから何かを落としたらしゃがむか拾ってもらうしかない。食事も前屈ができないのでラーメン屋などでは苦労したし、床や畳に直には座れなく、必ず椅子が必要だった。風呂に入るのにも一苦労した。
ここまでの経緯といいながらツラツラと書いてしまったがそんな苦労からも徐々に解放されることを期待している■