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その後の日記(3)
28日水曜日は結構忙しかった。今現在付添がいないと出かけることもできず。どこかへ出かけるのならママがテレワークの水曜日に午後半休もらって付き添ってもらわないといけない。
社会復帰を目標に公共交通機関を利用するが、これまで当たり前にできていたことが全くできない。スマホでSuicaひとつ呼び出すのも一苦労。まごついていると後ろから「早くしろ、先に行かせろ」と野次も飛ぶ。本当に情けない。動けない自分にも情けないがこんな程度の低い人間しか住んでいない戸塚という場所は本当に情けない。
まずは散髪がしたかったので床屋へ、そこでもいろいろとつまづいてなかなかうまく動けない。しかも昨今の感染症対策で持ち物や上着などは一切持ってもらえない。つまり手伝ってももらえない。致し方ないことではあるがそれもこんな身体になって初めて気がついた事でもある。
一番感じたことは座れる椅子という物が本当にない。バスの椅子は低すぎて腰に悪い。床屋の椅子は深く沈み膝の方が高くなる。この姿勢で座るのは危険。散髪してさっぱりした後は区役所へ。しかし区役所の椅子も全く腰には優しくなく。座って順番を待つのは苦痛。これだけ座る場所で苦労するとは思わなかった。病院のデイルームにあったあの椅子も適当に選んで置いてあった訳ではなかったのだ。似たような介護用ダイニングチェアを発注した。
役所では二つほど用事があり、一つは介護用品を選ぶために理学療法士に出張をお願いして今の自分の動きを判定し、それに見合った用品を買う手伝いをしてもらうこと、もうベッドのない生活はできないからだ。もう一つはヘルプマークの申請だ。介護用品に関する相談は時間がかかり、また椅子が合わなくて楽に座れる椅子の場所で待機していた。大半はママが話をしてくれた。一方のヘルプマークは即発行してもらえた。ちょっとあまりに簡単すぎだなとも思ったのだが。
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用事は無事に済んだのだが、その時にはすっかり腰を痛めてしまいあとは悶絶の時間。帰りにドトールにも寄ったがここの椅子もまた腰には優しくなくてコーヒー一杯飲むのが精一杯。バスに乗って家に戻ると即鎮痛剤を使って安静にした。安静にするには横になるのが一番なのだが、そうすると起き上がるときがまた一苦労だ。
夕方はかかりつけ医に行く。車に乗って移動。車だととても楽だし、外で腰が痛くなっても車に戻って休んでいれば痛みは引いてくる。車のシートってのはつくづくその目的を極めているんだなと思った。(ただし調節も必要だが)
主治医に入院中の報告をして、退院後の体調に合わせた薬に変えてもらったが、身体そのものはかなり具合がよくなり入院の効果は抜群だったようだ。ただひとつ腰だけが取り残されている。そんなわけでこれまでの持病については薬もだいぶ減ってそれはそれでめでたし。ついでにインフルエンザ予防接種の予約もしておいた。今年はなかなか予約まで取り次いでもらえないようだったので助かった。
車で移動をしていると昼間の腰痛地獄からも解放され、夕食も外で食べようかということになり久しぶりに回転寿司へ。お寿司そのものが今年初めからまったく行かなくなっていたので久しぶりのこと。そして入院中もあまりお寿司が食べたいとは思わなかった。それだけ入院前から食べていない事に慣れていた。しかしいつもであれば軽く10皿は食べるところ、どう頑張っても6皿までしか食べることができなかったのは寂しい。食べる量の少なさは致し方なしとしてもネタの数が少なかったのが残念だ。
あまりに満腹になったので車から降りると夜の歩行訓練をしてから家に戻った。一日の歩数は4,000歩程度、ちょっと歩きすぎかなとも思いながらも、食べた分の運動もしないとコルセットがすぐにきつく感じられそうな気がしてならない。その後は疲れたので早々に寝てしまった。寝るときだけ腰痛から解放されるのはありがたいかも、入院前は腰痛で目が覚めるくらいだったから多少はその時よりはいろんな意味でマシにはなっているのだろう■