人生会議 (アドバンスケアプラン)
状態の急激な悪化が予想され
ご家族、ケアマネそして訪看の話し合い
訪問診療医は入っておらず通院中…
ご家族の希望は色々話されるが
肝心のご本人の意向を聴くことができていない…
受容…
主治医からもよくはない状況であることは言われているのだが、
治療をメインとする病院では、
本人の意思、今後の在り方などの話し合いは
通院困難な状況になって『 どうするか 』となりやすい
当然ご家族もご本人も
通院できているこのままの変わらぬ時が続いて欲しいと願っておられるので
その流れの中に漂う…
ACP、アドバンスケアプランニング
余力のあるうちに
ご家族含め、
どう過ごし来たるべき時はどうでありたいか、何を希望するか…を
予め話し合うこと。
もちろん、人の考え想いはその時々の環境で流動的
お孫ちゃんがオメデタ!と聞いたら「 もう死んでもいいと思ったけど、生きたい!」と。
ACPも、一般の方々に知ってもらおうと 『人生会議 』という呼び名で言われている。
が、医療者側の唱える声は多いが
普通に日常を過ごしていると知ることは難しい、というか目に入らない。
病になってメメント・モリとなって
初めて目にも耳にも入りやすくなる…
それも
“ 病 ” が
本質からズレているよ!と教えてくれるサインであるとすれば
本質を思い直すキッカケとなり
病も有難いものとなる。
が、痛みや喪失感を伴う中で初めて『 どう在りたい? 』と問われても
メメント・モリが苦悩となる…
今、若い世代で
“ デスカフェ ”と称し死について話す流れがある
先日のプレゼンの時も
これからは 『 QOL 』 ではなく 『 QOD 』
D = 死
いかに死ぬか…という観念に移行していると言われていた。
来たるべき多死社会、天変地異、経済情勢、他、、
人の価値観も大きく変わろうとしている…
反対を返せば、
だからいかにして『 自分らしく生きるか 』ということだと感じる…
医療の中でのACPだが、
デスカフェ、QOD〜 求めるところは同じと想う…
普通に暮らせている日常で “ メメント・モリ ” を
家族、パートナー、友人たちやコミュニティなどで語る時を持つと良いと想う
日頃にアウトプットしていると
もし、その時を告げられた…ら、
心の振り子がたとえ振り切れんばかりとなるであろうとも
共に語った人々やその経験が
鎮静の妙薬となり寄り添ってくれる…
茶話会 とも💞 だち 主宰 おおぐし ともこ ( 看護師 ヘルスコーチ)