サプライチェーンと人権デューデリジェンスと私
2021年12月23日、ウイグル強制労働防止法が成立した。
新疆ウイグル地方で生産された商品が強制労働によってではない!ということを証明できない限り、その商品のアメリカへの輸入を禁止するというものだ。
これは革命的で、かなり難しいことになってしまったなあと思ったことを覚えている。
実際のところはどの程度なのかわからないが、新疆ウイグル地区の中国による迫害はかなり残虐なものだと言われている。
以前から問題視されてきたことに、ついに直接規制がかかった。
人権の保護の面では救世主だと思うが、企業にとっては大負担。
しかし本当に救世主になりうるのだろうか?というのも正直なところ。
長いサプライチェーンの中の、末端にウイグル自治区の企業があったら企業はどう対応していくのだろう?
例えば服。イメージだが、販売元・日本→縫製・生地・糸・綿など中国→その中の綿の原産地がウイグルだったらどうだろうか?
日本企業は責任をもって、サプライチェーンを辿り、その綿の生産工程をチェックしに行かなければならない。
一目で判断できることなんてたかが知れているだろう。その一瞬だけ隠蔽すればいいのだから。
だから、はっきりと強制労働が行われていないことを証明することはかなり骨が折れるのではないかと思う。万が一失敗すればトップもろとも共倒れ。
最近、どこの国地域でもサプライチェーンに関する人権問題や環境のことをしっかり管理しようという流れができている。
ビジネスと人権に関する行動計画。人権デューデリジェンス。それを踏まえた各国での規制。
企業側にとって手間はかかるがリスクから解放され、さらなる価値を生み出すことにつながる。
雇用される側も強制労働はなくなる。
言っていることは分かる。正しいとも思うし、世界的に普及されていくべきだとも思う。ただ、想像がつかない。
規制を敷き、企業の親元が介入したところで改善されるのだろうか。どこまで手が届く?果てまで守れるのか??
人権侵害、強制労働の根は深いと思う。歴史の教科書でしか見たことがない王国の時代からあるのだから。
規模は違うが、本質的にはいじめと同じなのではないかと思ってしまう自分もいる。
隠れたところで未だにはびこる、ターゲットが変わる。大きなことが起こらない限りは見て見ぬふり。最終的にはやられる側もそれなりに理由があるなどと言い出す者もいる。
たったサプライチェーンのトップが変化を掲げようとしただけではどうしようもないことである。(まず掲げることが大事なのではあるが)
結局は小学生から何も変わらない。誰かを見下し、虐げることでしか自分の存在価値を引き上げられない。規模が一クラス30人か、全世界かという違いのみ。
常識が変わらなければ。規制を順守するだけではなく、その本質を考える。CGコードなどの規制が改正されるたびに、有識者がよく使う言葉だがようやくその意味が分かった気がした