もれなくそこにあるモノ
わたしは去年、同じ場所から、同じ人の写真を撮り続けた。
わたしが撮るその人は、粛々と自分の仕事を全うし、いつもしゃんと背筋が伸びていて、とにかく横顔が美しく、明るい瞳はどこかずっと先を見据えていた。
わたしはこの目で、その瞬間の、その人を記憶したくてシャッターを切った。ひとつのことも忘れないために。
そこにある時間。
話は変わるが5月の初めに、不履行のまま4年ほど放置した集まりがいよいよ開催となり、かれこれ20年の付き合いになる友人5人と会食があった。
相変わらず時間に正確な5人は、約束の10分前には皆な待ち合わせの場所に集合して「変わらないね、お互いに」なんて口々に言ってみたりした。
確かに変わらない。
変わらないけど、「誰が一番若く見えるのか?」のような議論にもならないほど、ちゃんと、当たり前に、もれなく歳を重ねた5人がいた。
不便なことも増えるからヒトは忘れがちだけど、変わろうが変わろうまいが、等しく歳を重ねる。これって素晴らしいことだよね。
意味なんてなかったはずなのに
件の美しい横顔の人に「わたしが撮る写真、同じようなカットになるの何でかなって思ったら、わたしが同じ場所から撮ってるからだった」ってこぼした時に「俺もいつも同じ動きだからね」って笑ってくれたことがある。
同じアングル、同じ向き、同じ角度。まるで定点観測だねって。
初めはただ、その人の眼前に広がる世界がどんななのか知りたいと思った。その瞳に映る景色は、さぞかし美しいのだろうなと思い巡らせた。
ただそれだけが知りたくて、ずっと見ていたくて、それだけで良かったのに。わたしはどこで間違えたのだろう。
定点観測
【定点観測】の意味を調べると「変化のある事象について、一定期間、観察や調査を続けること」とある。
結果についての報告が難しくなったとしても、調査や観察はこれからも続けていきたいと思っている。(調査や観察…言い方だけども…)
何故なら、明るい瞳は前より光を増しているから。
その人の行く先を見ていたい。良い時も悪い時も。背中を押すなんて事は烏滸がましくてわたしに出来る事じゃないけれど、背中を守るひとりではありたいなと思う。
人はもれなく歳を重ねる。
いつ、どんなタイミングでも構わない。もし過ぎた時間を振り返ることがあったら、是非わたしの撮った写真でその時を思い出して欲しい。
きっと変わらぬ美しい横顔が写っていると思う。
わたしがその人を撮り続けた理由があるとするならば、それだけだと思う。欲を言えば、あなたの眼前に広がっている景色はどんなだか、教えてくれやしないだろうか。