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不完全な休日

自己調整としてのTODOリスト

もういつからかわからないくらいずっと忙しい。
昇給もさせてもらったし、当たり前っていうかまぁそうでしょうね、そうなりますよねって感じ。

「私の一日はTODOリストを作ることから始まる。」
なんて、かっこよく書いてみたものの、書き留めておかないと忘れるからってだけ。でも性分的にあっているのか仕事の進みはリストがあるのと無いのとでは雲泥であり、TODO作成と業務の棚卸に関しては後輩や部下にも口煩くやってる。かなり煩い。それだけ言えば鬼だと思う。

そして仕事だけではなく、一か月・一週間単位でも書き出している。
プライベートについては出来ても出来なくてもいいし、やってもやらなくても別にどっちでも構わない。あくまでも自己調整として。
こんな感じで、わたしの日々は過ぎていく。
出来たことも出来なかったことも、諦めたことも諦められないままのこともごちゃ混ぜのまま。

進め!有給消化

溜めてたって一銭にもならない。(遥か昔はお金に換えてもらえたりしたんだけどね。時代だからね。)
管理職だけど、管理職だからこそ進んで申請しろと会社が言うので、「そうですか?そうですか??それでは遠慮なく」と先週思い切って3連休を取得した。普段の休みは、本当にただ気力・体力を回復するよう、横たわるだけになるので、せっかくだしこの3連休はいくつかやりたいことを書き並べてみた。

総じてふぁいん。上出来。

①お粥のブランチ→同行者の寝坊によって行先変更。
②スーパー銭湯は無事履行
③バスタオルは半分新調
④晩御飯をお重に詰めたところまではよかった
⑤少し横になって目が覚めたらハーフタイムくらいの時間になっていた。
⑥東大阪まではもうちょっと…で諦める。チケット代(泣)
⑦曇天のお墓参り。結果雨降らず。降らないんですわたし。
⑧欅のランチは言うことなし。最高。

仮留めの日々

2024年の前半は、わたしにとってはプライベートも仕事も本当に試練の日々だった。思ったような結果は出ず、体調を崩したり、心の拠り所を失くしたり。(素晴らしい詩人の言葉を借りれば)書き続けていた日記は全部文字化けして読めない。

自分の思い通りにはならず、自分以外のものに振り回されることばかり。
自分の純粋さや高貴さは日々どうやって作りだしていたのか全く分からなくなった。
本当はそういうことって、生活するだけのものではなく人生を豊かにする何かで、外発的報酬とは違う。言えば、今も全然迷子のまま。

でも、もうコツコツ順番にやっていくしかない。
どんな辛い経験であっても自分なりに納得して価値付けをしていくしかない。自分がしたいことなんてぼんやりしかわからない。
でも、それでもいい。仮留めでもいいのだと思う。
出来るか・出来ないか…ばかりに目がいきがちだけど、成果とかとは全く関係ないところに自分の純粋さや高貴さってあるのだと思う。
そうやってわたしの存在を取り戻していくしかない。

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