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「わたしがどんな思いで…」
そんな事誰も推し量ってはくれない。
逆にわたしも誰のことも推し量れてはいないのだろうな。
その前に、わたし自身は伝えるという事にどれだけ真剣に取り組めたのかを
考える。相手の立場にどれだけ立てたか、相手の認知にどれだけ則れたか。
伝わらないからと諦めなかったか。
どうなんですかね?わたし。
全部怪しいですね。なんだかもう疲れちゃって。
実体がないものに傾倒するほど消耗する事はないですよ。
今時珍しく、インターネット探してもどこにも書いてないんですよ。その答え。自分の気持ちもまともに掴めないのに、他人のがわかるわけないじゃないですか。他人が考えることもやる事も全然わかんないですよ。お手上げです。
とか薬が効いてきてぼんやりし始めていたところに、病院自体は素晴らしいのに、やたら患者の治安が悪いクリニックで受けた婦人科検診の結果を思い出して、急に目が冴える。
身体は寝たいと信号を出しているのに、脳がそれを許さない。あるいは逆か。
「子宮頚がん・要再検査。ASC-US」
あぁ、年齢的にね。こういうのボツボツ出て来ますよね。大体が経過観察になるやつですよね。と思いながら完全に睡眠に失敗し、再検査に向かう。
こちらは「ASC-US」とインターネットにキーワードを放り込めば凡そ自分に下された検査結果や状況はわかる。
なんだよ、この件についてはわかるのかよ。
急に色濃くなる人生のタイムリミット感。
死ぬまでにしたい幾ばくかの某。
わたしのは殆どが後始末に分類されるだろうな。
あと、数人に死んだ事が知れるように手配をする。
伴侶は持ったが子は持たなかった。
相手は自分のことは自分で出来る人なのでなんの心配もない。
15歳の老犬を置いていくのは些か心残りだが。
の、様なことを考えていたら診察台が下がって馴染みの看護師さんから結果についての諸々を説明されて病院を後にした。
今、そんな事考えても意味ないのに。
例えば、わたしの気持ちのみでなんとか成り立っている関係性があって、わたしがそれを放棄すればたちまち疎遠になる。
そんな関係性はすでに破綻しているし、そんな関係にもはや意味などない。
しかしどれだけ意味が無くても、意味のあることだけでは生きていけない。
本当にどうかしてると思う。
帰りの電車で巨大インターネットショッピングサイトの検索窓に「シュレッダー 業務用」と入力する。
全てを粉々に出来る数種類のシュレッダーに「❤️」をつけて画面を閉じた。
同じ病気のご経験者や近しい方をこの病気で亡くした方がどう仰るのかはわからないが、この先出来るだけこの件について語る時は配慮した言葉で綴りたい。