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気づかない事と傷つかない事

胕は自分の喜びも悲しみも知っている。

ある人の言葉に酷く傷つき、腹が立った。
血が沸き立ち、肌が粟立つ。細胞の隅々まで怒りが駆け巡り目の前がチカチカして眩暈がした。
言い返そうかと思ったが、声を枯らして訴えたとしてもきっと通じないし辞めた。その代わりわたしは黙ると決めた。
とは言うものの、その人の発言に対して憤る気持ちと言い返さなかったことへの後悔がわたしに重くのしかかり特大の口内炎になって表れた。
口内炎程度でよかったのかもしれない。こうやってストレスは身体を蝕み
特大の腫瘍となって現れたりした人は命を取られたりするのだろう。
いや、大袈裟な話でなく。

すりガラス越しで生きて行けたなら

「本当は一生ヘラヘラして生きていきたいのに」
というわたしの言葉に
「そうねぇ、いつもうっすら怒ってるものね、わたし達」
と20年来の友達が答える。
「最近いろんな人と会うのよ、役所とか保育園とか」
と、彼女が続ける。
「気がつかないとイライラしないのになぁって思うのよね」
そうなんだよな、なんでみんなそんなに画素が荒いんだよ?!って思うことたくさんある。
「すりガラスくらいで良いのかもね」ふんわり、ふんわりと?
「考えても仕方ないことは考えないようにしてる」
『オンナの勘、ドブに捨てたい』とは彼女の名言で、なんていうかオンナの勘というよりも気づく特性と気づかない特性、どっちがこの世界で生きやすいのかしらね。
これも「考えても仕方ないこと」なんでしょうね。

何にこころを傾けるのか

特大の口内炎を抱えたわたしは、ワンカット1200円のニューヨークチーズケーキで自分のご機嫌をとることに成功した。
「考えても仕方ないことは考えても時間の無駄」
自分の精神的な安定の担保は他人とは関連性がないし、自分のこころが反応することが大事な事だから。
胕は自分の喜びも悲しみも知っていて、身体に取り込まれて定着した感情は二度とわたしから離れない。
何のために、誰のために「気付く」のか、
どんなに粗雑なひとたちにイライラしようが、大切なものの為に気づきたい。
それから何に傷つくかは自分で選べる。それは賢明さだから。

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