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書き置き③
先日の祝日、所用がありごく短時間だが京都に向かった。連休最終日の京都は観光客でごった返し、晩秋には早いけどぼちぼち深まっても良いはずのその日はとにかく暑すぎて、帰りの列車で、乗り込んで早々にうたた寝をしてしまった。
束の間の休息は、激しく肩を小突かれた事で呆気なく終わった。
目を覚ますと、不満げに無言でチケットをわたしの目の前に差し出す年配の男性と不安気に横に立つ同じくらいの歳の女性の二人組だった。
一瞬の事だったけど、この2人の考えは明白で、要は「あなた席間違ってませんか?」の問いかけを無言で見ず知らずの女性の肩を小突く事で体現したのだろう。
わたしの一言目は「痛いです」だった。
慌てて女性が「すみません」と謝ってきた。
わたしも同じようにチケットを差し出す。そこには「6A」
わたしが座っていた席で間違いない。何事かと飛んで来た車掌がその2人組に言った。「お客様の列車はこの次の列車です。」
わたしは自分の乗る列車も満足に判断出来ない上に、初手で他人を小突くことしか出来ない人間が存在したことに驚愕した。
「痛かったんですけど、(小突いたことに対して)謝ってもらってもいいですか?」と男性に申し出たところ、自分達の置かれた立場がまだ理解出来ないのか、不貞腐れた態度でわたしを睨んでいた。女性の方から謝罪を促された末「すみません」と小さな小さな声が聞こえた。
この人達は、「もしかしたら自分達の方が間違えてるかもしれない」という事を想定しなかったのだろうか。
そして、それが例え盲信であったとしても一言「すみません」と声をかける選択肢をなぜ考えられなかったのだろうか。もしかしたらわたしが日本語の通じないツーリストかもしれないから、声をかけるより初手で肩を小突きチケットを突き出す事が最善だと思ったのだろうか。
理由がどの様な事であったとしても、わたしは到底理解出来ないだろうなと思う。
少し前に元アスリートの「日本人はモラルがある」を前提とした社会が崩れたとしたなら」という記事を読んだ。
記事の主旨はさておき、この「日本人はモラルがある」を前提とした社会…は一部崩れているのでは?と身をもって体験した。おちおち指定席にも座っていられない。
何事にも品行方正で勤勉で完璧であれ…という事ではない。
わたしが屈強な男性だったとして、不遜な態度の男性は同じ事をしただろうか。モラルもなければ想像力もない。
なんと恐ろしいことか。
この記事は単純に「反面教師」とか「自戒」の様な終わり方をするのだけれど、それよりも噂に聞いていた不躾で配慮や想像力にかける恐ろしい隣人が、実際に存在した事にただただ恐怖を感じている。