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性別のないわたしは"同性愛"か"異性愛"か

性別がなくって困っている筆者の恋愛相談に、なるのだけど。もし時間があれば見てやって欲しい。

 

さて、わたしには十年来の片想いの相手がいる。なんと、このお相手わたしの一番の親友(女性)ときた。

なんで君を好きになっちゃったんだろうね。君だからか、仕方ないね。そう、思いはするんだけど。

不思議なもので、最初はそんな自覚すらなかったのだけど。でも、どんな男性と付き合ってみても、友達と遊びに行っても、何か一緒に共有したいだとか、あれを見せたいこれを見せたいと思う相手は一人だけだった。

最初は一番仲がいいからかなあって思っていたのだけど。そのうち「あの子と来てたら」と思うようになった時にいかんいかんと思ってしまった。

 

あの映画良かったなあとか、自分が行きたいと言ったから来た旅行とか。それが「君がいること」を前提に考えてるなと自覚したときに、あ~こりゃあだめだと思ったのだ。

わたしはお付き合いは男性としかしたことがないし、お付き合いの最中でも遠出とかは親友の方が多かった。結局のところ自分の中で一番が決まってるんだなあと自覚した。ただ、自覚したところで何ができるわけでもなく今までのライフスタイルを保ってきているのだけど。


 筆者は、小さい時から自分の性別についてあまり疑問は抱いていないけれどずっと違和感を抱いている。一応女性として生まれてきたから何の書類に○を打つにももちろん女性だ。けれど、女性かと尋ねられれば違和感があり、男性かと尋ねられれば違和感がある。

半分半分かと言われても、違和感がある。自分の体にも当然、違和感がある。わたしは比較的、人の裸体を見るのが苦手だ。洋画には付きものの裸体なのだけど、男性という肉体を見るのも女性という肉体をみるのも得意ではない。自分の体も苦手。人に触れられるのも苦手。形を意識してしまうから。器官を意識してしまうから。

背中から腰骨あたりまでを見るのはどっちかというと好きなんだけど。これは指を見るのが好きみたいな感じだ。フェティシズムだ。割愛頂きたい。

個人的にはズボンも履く、スカートも履く。メイクもする。けれど今の世の中はありがたいことに、だからそれは「女性だけがすること」ではなくなっている。ファッションとしてのジェンダーレスだって格好いい。まごうごとなく男性だとして生きているけど「綺麗に見せること」を生業に生きている人たちは美しい。

外にすっぴんでいっても特に恥ずかしいことはない。自分の顔はもう自分の顔だからなんでもいい。ただ、体が苦手。男性か女性か、どっちかを分けられるのが苦手。だから周囲に公言したことがほとんどない。自立心も高くてわたしはわたしであるも成り立っているから、自分が女性か男性かということで自分のアイデンティティを考えたことがあまりなかった。(初めて心底自分が女性で表にでろと言われたのは就活で、これまた嫌になって就活も辞めてしまった。最近は企業によっては該当なしの性別欄を作ってくれるところがあるらしい)

などなど踏まえて、世の中の多様性とやらを信じていっそ告白しとくべきだと思う?けど、個人的にはそう簡単じゃない。まずは友達としての強い意識の問題があるのでそれを簡単に三つにまとめる。すると、

①趣味(旅行や美術館や映画)の共有が一番やりやすくて、一番年月長い親友であること(今年十周年でした)
②向こうは人とお付き合いしたことがなく(人に踏み込まれるのが苦手)わたしに時々彼氏がいたことを知っているということ
③割と毎年春の頃やお互いの誕生日に「これからもよろしく」と言い合っていること(なんだかこの言葉を裏切るような気持ちになってしまう)
 

という感じ。とにもかくにも、自分がこの世界を感じている場面でこの親友がとても重要なポジションにいる。それが親友ないし友人だから保たれていると思うと、失うのは痛手すぎるし。正直万が一にも失ってしまったら、きっとこの先なんのためにいろんなものを見て感じているのかわからなくなりそう。どうせ何見ようとも君の顔が浮かぶ。

君と、見たもの感じたものを、共有することが好きだから。

恋愛観という問題でいくと、世の中にどう見られるかなあという怯えがある。これもまた三つにまとめると、

①男性でもなく女性でもないというのは言葉で言う以上に体感としてわかりにくいということ(自分自身で時折何がダメなのかの線引きが曖昧になることもあるくらい) 誰かから見ればそれは結局、「女性同士」になるんじゃないのか。同性パートナーという区分にならないけれどそれを説得して回るのは厄介
②とにもかくにも「異性との恋愛」以外は理解を求めることを前提になってしまう
③何よりもそれに相手を付き合わせてしまう。迷惑がかかるなあって感じてしまう

といった感じだ。特に、一つ目はわたしにとってかなり厄介な問題だ。同性パートナーというわけでも異性パートナーというわけでもない。そんなあやふやなものであれるならありたい。名前をつけなくてもいいのならそのままでいたい。理論としては「君が好きだから」しかないのだけど。名前もないふらふらした在り方は外の世界に対して責任を負っていないことになるのかなあ。

同じことで悩んでいる人もきっといると思う。それに上手く沿えてるわけではなくてごめん。

 

あと、個人的な問題でもう一個。君はいつか目が見えなくなる。学生の時に出先で教えてくれたことを忘れてないよ。そのいつかわからないリミットを、勝手にリミットとして考えててごめんね。


 自分の性別という話に戻るのだけど。最近知ったけど、わたしはLGBTの分類でいくとXに該当するらしい。

Xジェンダー(X-gender)とは、出生時に割り当てられた女性・男性の性別のいずれでもないという性別の立場をとる人々を指す。両方を区分する限りでは、中性、無性、両性、性別という枠組みから脱する、女性か男性か定まりきらない流動的であるというあり方など人により様々である。”wikipedia


いつの間にか、自分が分類されている区分ができている。なんだか最終手段な気もするけれど。あまり細かいことを言うのも……と思いつつ、そのXの性別が「両性」なのか「中性」なのか「無性」なのかの区分は確かにあるだろうと思えた。筆者はまだ自分の性別がXという人と話したことがないのだけど(もうすぐ三十路もくるのにねー!)この三つそれぞれが違えばまた、違ってくるんだと思う。

世界は白と黒でできてねーのかよ。面倒だ!って思われるかもしれない。けどまあ上手く白黒つけられなかったんだ。なので、なにもなかったということでいこう。フェアに笑

恋愛関係にするか否か。そんなところでも白黒がついていない。

例えばセックスもしないような(相手の肉体を見るのが苦手なので。性欲もないしなあ)プラトニックな関係であればそれを今までと変える必要があるのかと思う。けれど今の状態が事実恋愛だというのは難しい。三十路手前になって周りから結婚や恋愛あれこれを聞かれても、「好きな人」についてあまり深く掘り下げて話せない。片思いってそういうもんかな?でも、やっぱり親友としての君を語るようにキラキラとしては喋れない。

 

いっそ告白すべきだと思う?その言葉を割と真剣に、ずっと考えている。君が誰よりも一番なのは絶対で、世の中にはいろんな在り方があるということもわかっているよ。でも、恋愛になったところで何のメリットがあって、何が変わるんだろうか。お互いの一番が確約できて、誰か別の人を好きになったりした時に変化が訪れるんだろうか。いっそ気の迷いだったと思って過ごしていくべきなのだろうか。異性愛、同性愛。わたしが抱えているのは、どれなんだろう。

 

ひとつだけ言えることがある。ここまで書いておきながらもわたしは、結局今までを壊すことが怖いだけの、臆病なやつなんだ。いい大人なのにね。

「恋はないけれど愛はある。」結局、わたしはどれが一番越えられない壁なのかがわからないまま、29歳の誕生日を迎えてしまった。

 

難しいね。

君が欲しいと思ったことはないし(束縛とかいろんな意味で)

少し卑屈で面倒な物言いをする君といることが幸せだという確証もないし

やりたいと思うことややらなきゃと思うことも全く違う

 

世界の付加価値みたいなものばかり共有している。なにを感じても同調ばかりするわけではなくて、理解しあえないって言い合うことや、その考え方はないなあと思うこともたくさんある。映画とか観たあと一番よくあれこれ言うよね。

 

世界を見ているその観点は同じなのだけど、そこから派生しているものが違う感じ。でもそれは、君という根っこから生えてるものだから一度も嫌いになったことがない。

 

「こういうタイプが好き」というのもある程度あるんだけど、それに君がたくさん当てはまるわけじゃない。例えばわたしは磊落な人や、好奇心の塊のような人が大好きだけど、君はそういうタイプでもない。

 

君が「今そうだから」好きというのにも語弊がある。10年間で移ろいあった君のこともそれなりに見てきているけどそれも結構愛している。仕事がしんどすぎて、昔と比べたら損なわれた部分がたくさんあるという自覚を君は話してくれた。でも別に、それでいいと思う。

 

途中から君が好きって言う話ばかりになったけど笑

でもやっぱり、普通の幸せみたいな、手順の少ない幸せについて考えればやっぱりただ男性で生まれてくれば、せめてただ女性で生まれてくれば"楽"だったかなとは思う。

 

なにせ「二人で乗り越えていけばいいじゃない」なんていう段階でもないもんね。どちらでもないことと、どちらでもあることの違いの説明は難しい。

でも、性別で区分けして話すとさ。ノーマルという形で君を好きになれるわけでも、レズとして君を好きになれるわけでもないんだ。

 

ずっと、どうしたらいいんだろうって思ってる。君はそのうち誰か男性と結婚して生きていくのかな。想像つかない分、ショックも大きい。家庭を邪魔するのは忍びない。結局一番になりたいっていう思いがあるんだ。そんなことを考えると、寂しいも、苦しいもちゃんとあるよ。

100歩譲って君が理解してくれたとしても、そのわたしの不透明さを世間に説明するのに煩わせるのは嫌だなあ。君と出会えたからこんなにもいろんな事が綺麗で楽しい。でも、君と出会ってしまったからこそいろんなことを考えてしまって苦しい。

 

「現時点」での結論はというと、まだ平行線、要するに臆病のままいるということだ。そのままでいるんなら何が起こっても文句なんて言うなよって思うかもね。わたしもそう自分に思う。

今の自分の気持ちも臆病ながらに大事なんだ。もしもそのまま、このまま、いけたならって思うからね。わがままだね。

いつか、君の目が見えなくなる時までなるべく見れるものを一緒に見ていよう。君の中で自分のポジションをそうやって10年かけてつくったからさ。くそくらえの我が儘だよ。自分のことばっかりだね。でも君が好きじゃなければこんなに臆病にもならない。

 

最近実家に戻ってきて、物理的にもますます君と離れて(とはいえ遊んだりするんだけど)余計に考えるようになってしまった。

と、同時に物悲しさとか変な苛立ちとかも秘めるようになった。うまくうまく、前みたいに消化できなくなってきた。寂しさも、不安も、うまく共存できなくなってきている。

 

そんな思いをぶつけるために小説を書き始めたんだけど、なにをどうすればいいのかもわからないし、必要とされているのかもわからない。ただ滑り込みでいい機会を見つけたから、ちょっと投稿してみたい。この投稿は筆者がどんな人間で、なんでこの先の投稿を書こうと思ったのかの序章というか説明になる。そういう、ことにしておこう。やっぱり答えを出せよと自分にも思うのはきつかった。

結局恋愛相談としてはうじうじしてなにもできない宣言をしてしまった。つらつら書いていたらそうなってしまったので、許して欲しい。 

小説 『わたしを捥ぐ』

第一話 

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