今、感じてること

生きてると人と話すから。
話している間に、そこでめーいっぱい吸収して
自分の殻と、そうじゃない殻の精査が起こって
またひとつそぎ落とされて、
本当の自分に研磨されて。
朝起きると、研磨完了されている。

昨晩の電話も。
ふわふわしてたからこそ、
研磨されてる感覚があった。

どんなに歩いていても
必ず10センチほど浮いているような感覚。
だから時間軸の直線的感覚もなく
それはいつも立体の中にいるから
早くもなく遅くもなく
近づくもなく遠ざかることもなく。
じゃあそれは何?というと
「それはただある」という感覚地。

それがあることが重要で
それがあっても点火されぬままのものはたくさんある。
その中で、そのものが点火したということが
最も重要なの。わたしにはね。わたしにだけはね。

だからそれがいつ訪れるか否かは。
点火したならば、必ず来ることを知ってるの。
だから、追うこともないし、待つこともない。
それが来るタイミングで、必ず体験することになるのだから。

ある意味、冷めている自分がそこにはいるようで。
実は、もっとな愛を抱いている。
もう、生きて体験できるだけで十分なんだ。
もう、出会えさせてもらってるだけで十分なんだ。
もう、「生」と「出会い」があるだけで、そこではじまる交流も。
ぜんぶ感謝に変わるから。
冷めてるのではなく、それだけを温めてるという感覚だ。

そこから動くこともなければ
それ以上も以下も求めることもない。
「点火」したこと自体に、無限大の感謝が溢れるから
どんなことが起きようとも…
帰る場所はいつも「感謝」のところ。

いいことわるいことの調和というのは
いいこととわるいことのバランスをとっているようじゃ
調和はされない。
もうひとつ上に行かないとね。

調和の入り口・出口には感謝の門番がいる。

門番は見ているのよ。
みんなの心の中も、体の中も。

いつだって、どこだって、どんな時だって
感謝が溢れ出る感覚を知ってしまった
あなたになった時は、
門番があなたを次の門へ通したということ。

最後の体を洗う場所で。
最後に心を洗う場所に。

最後の最後はそこでしっかり綺麗にして。
ここでやってきたすべてを綺麗にして。
地球から卒業していくんだよ、みんな。

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