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自己探究の旅2

インナーチャイルドとの出会いがきっかけでわたしは自分を深く見つめる旅に出ました。過去を癒すことで、今をもっと軽やかに生きられるのではないかと考えたのです。


過去を振り返る:小学3年生のころから始まった辛い体験

わたしの育った家は、父方の祖父母と父と母と兄で暮らしていました。
記憶は定かではないのですが、この頃から両親の喧嘩が毎晩のように始まります。夜になると、両親はお酒を飲み始め、怒鳴り合いの声が聞こえてきます。まだ小さなわたしは「また始まった…。」と胸が締め付けられるような思いでした。怒鳴り声が嫌で、耳を塞ぎ泣きながらベッドで寝ていました。
その頃のわたしは、「どうしてわたしの家はこうなんだろう…」と毎晩終わらない恐怖に怯えながら過ごした日々。それがわたしにとっての現実でした。

絶えない喧嘩の後、疲れきった小さなわたし

両親の喧嘩が続く中、わたしは心身ともにクタクタに疲れきっていました。祖父母と一緒に住んでいましたが、祖父は糖尿病、祖母は認知症を患っていたのでもちろん助けてはくれません。頼るのは正直兄しかいなく、助けを求めたこともありました。「お兄ちゃん、何とかしてよ!」と頼っても、返ってくるのは、冷たい言葉や無関心な態度でした。(今思うと、兄も辛かったとは思います。)その時、わたしは気づきました。「誰かに助けを求めても無駄だ。」誰もわたしを助けてくれないなら、一人でやっていくしかない。
そう決めた瞬間、胸の中で何かが凍りつくような感覚がありました。感情を抱くことは無意味、傷つくだけ……..そう思い、泣くことすらやめました。それがわたしにとっての生きる術だったのです。

感情を捨て、こどもをやめたわたし

感情を押し殺してからのわたしは、まるで家族の中で別の役割を演じるようになっていました。子どもでいることをやめ、親の喧嘩を止める側に回ったのです。喧嘩が始めると、必死に二人の間に入り「落ち着いて話そうよ。」と仲介に入ったり、母親を庇って殴られたり…..子どもらしさを捨てた大人びた態度で仲裁に入るようになりました。

朝が来るたび、まずわたしがすることは両親の顔色を伺うことでした。どちらかが不機嫌であれば、家の空気が一気に重くなることを知っていたからです。その空気を少しでも和らげるために、わたしは無理に明るく振る舞いました。(のちにアダルトチルドレンについても知るきっかけとなります。)
元気な声で「おはよう!」と挨拶。沈黙が大嫌いで会話作りもしました。
その裏で、孤独や悲しみを誰にも見せることなく毎日を過ごしていました。「家族が笑顔でいてくれるなら、それでいい。」
そう自分い言い聞かせながら、心の痛みを封じ込める日々でした。

辛さを感じることすら忘れた日々

いつからか「毎日が辛い」という感情さえも感じなくなっていました。感じる余裕さえなくなっていたのかもしれません。ただ目の前にある日々をこなすだけ……。それが当たり前になっていたのです。
朝起きて、親の顔色を伺い、喧嘩が始まれば仲裁し、みんなが機嫌よく過ごせるように気を配る。そんな日々の中で、「自分がどう感じているのか」なんて考えることもなくなっていきました。

心を無にして生きること。

それがわたしにとって、家族の平穏を守る唯一の方法でした。その代償として、わたし本来の自分が消えていくようになった….と思います。当時のわたしは気づくことさえできませんでした。

過去を振り返る中、感情とは何か?本来の自分とはなにか?と考えるきっかけともなりました。

この続きはまた....

長文読んでくださりありがとうございます。Mahalo~



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