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心も体も追い詰められたあの頃
傷つくことだらけだったあの頃ーー言えなかった心の叫び
小学高学年時代ー:兄との口論がエスカレート。
最終的には殴られてしまうのが当たり前になっていました。言い合いだけで済めばよかったのに…(私も嫌なことを言ってたとは思いますが….)手が出るたびに「痛い」という感覚。「男の人って、いつ手を出すかわからない」という不安が、この頃には私の心に刻まれていったのです。
さらに、知らない人からの怖い思いをさせられた経験も重なり、「男の人は何をしてくるかわからない」という恐怖心がますます強くなりました。当時はそれを誰にも打ち明けず一人で抱え込んでたことが今振り返ると、辛かったな….と結構きつかったなと思います。
アトピーの悪化ーでも人に見れないところだけ
この頃から、もう体はすでに限界だったのでしょう。私の体はアトピーに悩まされ、症状が悪化していました。でも不思議なことに、服を着たらわからないとこだけでした。お腹とかお尻とか…..今だに不思議ですけど。当時は思春期ということもあり、絶対に言うものかと決めてました。
今振り返ると、きっと心も体もボロボロだったのだろうと思います。
それなのに、外ではまるで別人のように明るく振る舞ってきました。周囲からは「元気な子」「楽しそうな子」と見られていたのです。事実、卒論では「明るい人ランキング1位」「楽しい人1位」に選ばれる程でした。
それはある意味皮肉でもありました。心の奥では恐怖や痛みを抱えていたのに、周りからは笑顔しか見られていないーーそんなギャップが私をさらに追い詰めていたのかもしれません。
救いだった中学時代のバレーボール
中学生になってから、私が夢中になったバレーボール部でした。部活では、ひたすらボールを追いかけ、仲間と声をかけ合いながら汗を流す時間が、私の心を救ってくれました。そして何より嬉しかったのは一年生ながらもスタメンで試合に出れたこと。
周りが私の実力を認めてくれていると感じられて、胸がいっぱいになりました。さらに、みんなが「すごいよ。」と褒めてくれるのがすごい嬉しかったんです。怖い思いや痛い体験ばかりしてきた私に「認められる」「褒められる」ということがどれだけ心を軽くしてくれるか。コートの上でボールを追いかけている間だけは、過去の痛みや恐怖からは少しだけ解放され、私自身が輝ける場所だったのです。
中学卒業後の現実ーーバレーボールとの別れ、そして母親の家出とその前の衝撃
中学を卒業して高校へ進学すると同時に、私はバレーボールともお別れすることになりました。中学時代、あれほど心の支えになっていたボールを追いかける日々が終わったことで、一気に現実へ引き戻されるような気がしたのです。
そんな中、追い討ちをかけるように母親が祖母を殺めようとした衝撃的な事件が起こりました。母親が祖母の首を絞めてる間、私の父と兄はソファに座って見てるだけ。家族の中で本当に起きていることとは思えないような出来事で、一気に現実が崩れ落ちる感覚でした。(私が止めたので祖母は無事でした)祖母のことには触れていませんが、酷かったです。
その後、母親は家を出て行きました。置き手紙もなく….
私は完全に壊れてしまったように思えました。
母との会話ーー「一緒に頑張ろう」と言ったのに
すでに限界を感じていた私。それでも退学を決める前に母親と話そうと決めました。
「私も頑張るから、お母さんも頑張ってほしい」ーーそう伝えると、母はもう一度家に戻ってきてくれました。私としては、これでほんの少しは何かが変わるかもしれないという期待がありました。
それでも崩れていった現実
けれども、実際には問題は何一つ解決せず、家の空気は相変わらず重たいままでした。私がどれだけ頑張ろうとしても、母との関係や過程の土台そのものが揺らぎきっていたのだと思います。高校一年の途中で退学を選ぶしかなかった。もう何もかも手遅れだったのかもしれません。
頭では理解しているけれど、心はまだ…
こうして振り返ってみると、当時は本当にしんどいことばかりでした。でも「そんな時期もあったんだね」「本当によく頑張ったね」と自分を慰めり自分がどこかにいるのを感じます。もしかすると、それが私にとっての最初のヒーリングだったかもしれません。心の傷は自分で癒せるのか…?と気づいた瞬間でもあります。
まだ完全に乗り越えられたわけではないし、心の癒しがどれだけ進んでいるのかもわかりません。でも、少しずつ自分に優しくなれるようにーー
ここから先はまた..
読んでいただきありがとうございました。mahalo~