子ども同士が注意し合う関係性

2学期の懇談会で、
「子どもがお互いに注意し合える」のが、良いことだと受け取れるような発言が担任の先生からありました。

私は以前から、子ども同士がお互いを監視したり注意したりしている姿を見聞きして、とても嫌な気持ちになっていたので、その考えを共有したくて、
「自粛警察などが話題になっている昨今ですが、私たち大人の社会で、他人を監視したり注意し合う関係性って良いと思いますか?
私は我が子に、友達を監視したり注意したりするような子には育ってほしくないのですが…。」
という事をお伝えしました。
(今思えば、ぶっ込んだ。いわゆる「良い子」に育てようとしている人は、きっとザワザワしたことだろう。)

ではなぜ、注意し合う関係性が気持ち悪いのか。

取り敢えず今思いつくことだけを書いてみます。

●例えその行動がどんなに悪かったとしても、その奥には善(愛)の心や目的が必ず隠れていますが、
それを想像したり共感したりする力が育まれていない。

●注意とは、口撃になっている。

●偏った正義感を振りかざし、注意してるのに言うことを聞かない!と怒っている。
これ、排除につながるなあと思う。

●正論は人を傷つける。人間は正しいか間違っているかだけの世界では苦しい。温かさ(愛があるかどうか)が大切。

●自分は正しいことをした。相手がなぜその行動をするかなんて関係ない。想像もできない。(想像力の欠如)
注意することで、まさか自分が相手を傷つけていたなんて夢にも思わない。

●育ってほしいのは、共感力や想像力。
対話を通して、違いを認め合う力。
なんでそれをするのだろう?何のためにするのだろう?そうだったんだね。あなたはそう考えるんだね。
注意から対話は生まれない。

●人に迷惑をかけてはいけない
それってほんと?何でもみんなと同じ時間に同じように同じ事が出来ないとダメなの?
対立や排除を生む。

●自分さえ良ければ
社会の中で生きていくのに、自分だけ、我が子だけが良く育つ、なんてことはあり得ない。育ち合いが大切。

●「あなたのために良かれと思って」
この言葉が出てきたら要注意!クソバイスなんて言っていた人もいたが。

●自分は我慢しているのだから、あなたもやってはいけません!
我慢の押し付け

●気付かぬうちにレッテルを貼り、排除している。言っても出来ない人。関わらないようにしよう。

●上から目線

●その人の選択を尊重していない。
相手を注意したとして、それを止めるか止めないかを最終的に決めるのはその人自身。
他人を自分の思い通りに動かそうとしている。

●間違っている人を注意した自分は偉い。認められるべき。正しいことをしないと認めてもらえない。
ありのままの自分を認めてもらっていないからこそ。

●優越感

●安心安全じゃない。
安心して自分をさらけ出せない。
安心して失敗できない。
自分も注意されないようにって頑張る。

ザーッと書いただけでも、結構あるな。


クラスに一人くらい、いっつも人のこと注意してるな。みたいな人が居ても良いと思うんです。

でも、お互いに、しかも複数人で寄ってたかって注意して…

学校って、安心安全であることが大前提なんですよ。
だからこそ、失敗も沢山できるし、学びに向かう力を発揮できるんです。

どんなことがあっても、
否定されたり傷つけられたりすることなく、
安心安全な関係性を育みたくありませんか?

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