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AURA-SOMA  〜プルトン〜

去年 2021年後半に封を開けた、AURA-SOMAのB121 プルトンという名前のボトル、使いかけのまま数ヶ月経っていた。先日の「冥王星の受け継がれた愛のワーク」から再び使い始めて、今日あたり終わろうとしている。

8ハウス研究会やオーラソーマ、占星術を通して、去年からセレス/ペルセポネに続くこのプルトンでボトルワークをプロセスをしているんだなぁ。そして自分の核を覆い隠すほどの絡んだツタの葉っぱのようなものを、ちぎるのではなくじんわりと確実に、ひとつずつ解いていくような感覚で歩んでいるこの数ヶ月を過ごしている。

そんな昨晩、ある些細な出来事から大きく揺さぶられる感情をどうしたものか、というところから自分が自分にかけたであろう呪いの魔法をたくさん思い出した。あんまりにも、恐ろしい魔法で、後頭部がズキズキするという身体のメッセージと共に思い出される記憶と、そこから生成した信念と、その信念の効果のありようを実感したのだった。

I'm not enough  - この想いがどこから生まれたのか。  

ここ一週間前くらいだろうか?以前解決したと思われていた信念が浮かび上がってきた。そこを昨晩は、もっと掘ろうと流れに委ねてみた。すると、出てくる出てくる。。。私の願いはどーせ叶いっこない、存在への否定、、、諸々恐ろしすぎて言葉にできないな、というような信念。(わたしの中では、マインドより厄介な深い層での思い込みが信念という表現になる)そして心臓の裏側の背中がキュッとなる感覚の記憶たち。

自己肯定感がかなり低かったとは思っていたし、だいぶ改善もされてきているけど、それ以上の根っこの深さの信念に気づいた時に、あぁ。。。この願いが叶っていたのか。。。だから、I'm not enough という概念がわたしの細胞の中に巣食っていたのか、と腑に落ちて、息を吐くことができた。はぁーっ。

オレンジの細胞の記憶に光が届いた瞬間。

それは、ひどく恐ろしい記憶に触れ、そう思っていたんだ。。。と認知した時に起きた。すると太陽神経叢のあたりが緩んで呼吸が深く入っていく。

このことで思い出すことがもう一つあった。ある方々のセッションでのこと。「そうだったんだね」と肯定されて、じゃぁ、ここから歩いて行こう、と手を出されたこと。プルトンの終わりは、わたしにその感覚を思い出させてくれた。

私たちの記憶は否定されたり、知識で上書きしようと思っても癒えないんだと思う。プルトンは全てを受け入れた時に細胞の記憶を癒し、光をあるところに戻してくれる。その思い出した恐ろしい記憶や、記憶から作られた信念は、その当時の子どものわたしを、精一杯守ってくれていた記憶でもあったことも、大人の私はわかっている。

そして、ここから抱きしめてあげようと思う。

怖かったよね。もう大丈夫だよ。





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