「#ジョシの人生50から」をテーマにする理由。
今さらですが、「はじめまして」的なブログです。
こんにちは。 #ジョシの人生50 から のLaira(ライラ)です。
先日、友人から
「どうして”女性”ではなくて、”ジョシ(女子)”なの?」
と聞かれました。
見た目も、中身も、十分すぎるくらい”オトナ”な私が、なぜ、“ジョシ(女子)”という言葉にこだわるのか?
確かに、疑問を持たれて当然ですよね(苦笑)。
でもね、
”ジョシ(女子)”という言葉にこだわりたいんです。
そこで、今さら感がありますが、ここできちんとその理由をお話ししたいと思います。
50代突入&閉経を機に、「わたし」を生きることに!
人生100年時代と言われる現代社会において、50代はちょうど折り返し地点。
私の場合、50代に入ってすぐに「閉経*」したので、正直、「更年期悩み」よりも、「生理悩み」から解放された喜びでいっぱい!
*とにかく量が多く、リズムも不規則だったので、一年中、生理のことがアタマから離れませんでした。
また、時系列的にはちょっと前後しますが、50歳誕生日を迎える直前には、40代最後のチャレンジとして、スウェーデン夏至ツアーに参加。
湖のほとりで白夜を過ごしながら、
50代からは、自由に「わたし」を生きよう!
そうココロに決めたのでした。
わたしにとっての「自由」は、軽やかなイメージ。
組織に属するのはちょっと苦手。
たとえば、属しているコミュニティのことを「うち」っていうことに、抵抗感があったりするため、フリーランスで働いています。
同様に、「(年相応の)落ち着き感」っていうのにも、ぞわぞわしてしまう・・・。
なんだろう・・
「落ち着き感」や「大人っぽい」って、人生守りに入っているような、重たいイメージなんですよね。
でも、わたしが追い求めたいのは、「軽やかな自由」。
カッコ悪くても、失敗しても、楽しくチャレンジする日々=わたしにとっての「自由な」ライフスタイルイメージなのです。
軽やかで自由なわたし=「ジョシ(女子)」 表記に行き着いた理由は・・・
30代半ばごろかな・・。
『ガール』(奥田英朗著)という短編集を読んだことがありました。
(2009年に文庫化されているようです)
働くアラサー女子の気持ちがリアルに描かれ、膝ポンしながら一気に読破したのを憶えています。
その中で、たしか、ガールという生き方もいいんじゃないかみたいな表現があり、「うん、そうだよね。アラサーだからって、守りに入らなくてもいいよね」
と強く共感。(※今、本が手元にないので、後日、この部分、修正入れるかもしれません)
わたしの中で、いつしか「ガール」が「ジョシ(女子)」となり、今に至る・・
そんなわけです。
つまり、「ジョシ(女子)」と名乗り続けることで、軽やかな自由を体現し続けることをテーマにしよう。
これが「#ジョシの人生50から」のゆえんです。
自由に「わたし」を生きる、は意外と難しい?!
あとで振り返ってみると、
「けっこう自由気ままに生きてるなぁ」
な日々を送っていますが、
瞬間瞬間を切り取ると、けっこう・・いえ、かなりバタバタです(苦笑)。
あれやこれや、アタマもココロも騒がしく、自由を満喫したり、そもそも「わたし」を生きているのか、疑問に思うことも多々あります。
最近では、noteも、Instagramも、すっかりご無沙汰。
「天中殺」情報に振り回されて、なんでもかんでも「天中殺」に結びつけがちといい負のスパイラルまで発生〜!
2024年春分の日を機に、「#ジョシの人生50から」を意識していこうと思い、記してみました。
ではでは。