プチ・ヒヤリハット体験〜親の変化を目の当たりにして思ったこと。
こんにちは。応援家(カウンセラー/インタビュアー)で「 #ジョシの人生50から」LIFE実践中のLairaです。
昨日の夕方、のできごとです。
親(80代後半)の頼まれごとで、ちょっとした事務作業があったのですが、肝心の書類がない、のです!
「ええっと、○○はどこにあるのかな?」
「いや、このフォルダの中にあるはずだよ」
「・・ないんだけど・・???」
を数回繰り返し、その都度、書類を全部ひっくり返してチェックしたものの、肝心な「それ」がない!
ついこないだも、断捨離&終活が高じて、ある書類を捨ててしまっていたので、今回もまたそれ?
でも、前回は、本人が「もういらない」と判断して捨てたので、明確な意思があったけれど、今回は「絶対に捨ててない」という。
おお・・きたか。。。
アタマの中が真っ青になったのと同時に、
ここで追及したり、責めてはいけないっていうか、
できない、より、できる、を探そう!!!
と瞬時に気持ちを立て直し、
なくした書類の再発行手続きを検索。
もう時間外だったけれど、翌日以降に対応することを伝え、
「問題ないし、だいじょーぶだから安心して!」
と明るく話し、そのまま帰宅しました。
ですが、
夕食後、どどーーーーーーーーーーーーん、と謎の疲れが出てしまい、
結局、昨日もたまりにたまった自宅作業は手つかずのまま。
かろうじて、お皿を洗い、湯船につかって、寝ました。
そして今朝も少しどんより。
おや?
「なんでこんなに、いつまでも、どんよりモードなの???」
とまあ、さすがに自覚しますよね。
それで、身支度しながら、内観してみたのです。
すると、
*これから介護が本格的に始まっていくのか、という事実に直面したショック。
*どうしたら、親たちが、安心して、少しでも、これからの人生を楽しく生きられるのか。
*親たちが、自分はダメだとか、自らを追い込まないサポートは?
そんなココロの声を言語化してみたのですが、一方で、
*とはいえ、親たちの人生は親たちのもの。私の人生は私のもの。
*大事な書類をなくしたショックで、私、仕事が手につかなかった、というのは、人のせいにしてない? 親たちのエイジングとは無関係。影響受ける=できない理由にする、というのは違うんじゃないかな?
といった思いも出てきたのです。
まぁ、ここまでくればあともうひと息。
*私は、自分の人生を、ワタシ史上最高なものにする!
→ちょっとアファメーションチックな言葉を自分にかける。
*とりあえず今回は、書類を1つなくしただけ、と改めて整理。
→物事をシンプルに捉える。
の2点を胸に、家を出て、今日の職場に出勤。
ふとスマホを見ると、親からショートメールが!
「ううっ!今度はな、なに???」
ドキドキしながら開封したら・・・
「ありました!」
という連絡だったのです。
「ええ??? ど、どこに???」
始業まであと数分しかなかったので、あわてて電話をかけると、
昨日、ふたりで指差し確認しながら、何度も何度もチェックしたファイルの中にあったというのです。
あまりにも不思議だったので、写メも送ってもらい、急いで確認。
たしかにありました。
どゆこと〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!
とにかく、良かったことを喜び合い、切電。
トイレ休憩のたびに、このブログを書き進めながら、振り返りました。
結論からすると、
ゾロ目を頻繁に目にするのと同じような感覚で、今回は「お試し」または「ワーク」だったんだなと。
親たちのエイジングは避けられないもの。
自然現象だから。
でも、そこに振り回されず、ワタシの人生をやっていく覚悟はありますか?
が問われているような・・・。
そんなできごとだったと思います。
人生っておもしろいですね。
ではでは。