祈りの所作としての創作とAI時代の再魔術化
多くの人のこころに響く、残る作品というものは作ろうとして作れるものではない。
これは作ったことがない人でもなんとなくわかるものでしょう。
そういうものは、長い足踏みに耐えながら努力を続けた者にだけ、神様がご褒美を与えるかのように出てくるものであるのです。
要はそういった、アーティストとしての作品を多くの人の目に触れるようにするものも、商品としての作品においても同じことで、もはやこの創作の多量とデリバリーの速さというのははじめに述べたような努力が必要になってくるのではないかと思うのです。
もちろん、そのクオリティは最低限の担保されたものに限りますが、それがあるならば希望という餌を追い続けその場に留まり何回、そのガチャを回し続けることができるかということになってくる。
これからの世界というものはそういう世界になっていくのではないだろうかと思うのです。
AIというものがこれから出てくると知性のコモディティ化されていきます。
その知性というものはただただ出力されていくものですが便利だから使うというブラックボックスとうまく付き合っていくことになります。
つまりはこの世界はまた大きな再魔術化されていくのです。
ここで大切なことは自分のやるべきことを見定めて、それを信じるだけということになります。
まるで、それは祈りの所作のようなものかもしれません。
そのとき人間である『僕』たちは何をもって人間の”生きている”というものを謳歌し、良き人生としてくのでしょうか
これは葛藤と自分の挫折や傷と向き合い、それを修復していく過程でこの希望を持ち、ガチャを回しに行く
そういう時代になってきているのかもしれません。