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マジミラがちょっと変わってた話

おはこんばんちは。あめりんごです。
先日、マジカルミライ2024に参加してきました。
そこで感じたことを書き連ねていこうと思います。

ライブ自体の感想は大体みなさんのものと一緒でわざわざ書かなくてもいいなと思ったので、マジミラというイベントの在り方にフォーカスしたお話をしていこうかと思います。
ライブ自体のネタバレはないので安心してご覧ください。

★変わりゆくマジカルミライ

さっそく本題に入りますが、今年のマジミラは全体を通して"違和感"を感じました。
以下でそれについて語っていこうと思います。

(書いた後に気づきましたが、この記事はある程度の期間、ボカロに触れている方向けかもしれないです)


1. 会場の"違和感"と「新しい・・・新規ファン」

一体何を感じたのか、結論からいうと、「新規ファンの増加」です。
いやいや何を言うか、マジカルミライ、もっと言うと「ボカロ」というコンテンツはもう20年続いているのだから、新規ファンが都度入ってくるのはあたりまえでしょう。

もちろんその通りなのですが、今までの新規ファンはマジミラの常識を分かっているというか、「その世界で生まれ育った人がようやく自分の足で現地に来た」っていう感じがしてたんです。

でも、今回の新規ファンはそれを知らない、純粋無垢な感じがあって。マジミラをよく知らない、外の世界から来た人って感じがしたんです。この感覚を表すなら、新しい・・・新規ファン」というのが適切かもしれません。

この違和感はなんだろうなと思って自分なりに考えたんですけど、きっとプロセカが原因なのかなと。
今回はプロセカファンが多くいたんだと、そう思うんです。

プロセカはいまやボカロコンテンツの中でもかなり強力な存在ですからね。そこから流入したお客さんがいるのは当然でしょう。
そして、今回のマジミラではその影響力を感じた瞬間がいくつかありました。


2. 服装の変化

まずは服装ですね。私服なんです。
別にいいだろ。はい、いいんです。
でも、今まではマジミラに来るなら公式Tシャツ!法被!ぬい!みたいな、ガチ武装をするノリが主流だったと思うんです。

でも、それはマジミラを見て育った人だから分かることで、「プロセカ」という外の世界出身の人からしたら、そんなこと知りやしねえんです。
しかも、法被とかそういうガチすぎる衣装ってとっかかりにくいじゃないですか、正直。「ボカロは好きだけど、そこまでじゃないんだけど~^^;」みたいな。
そういう層が増えた結果、今回は私服参戦者が多くて、会場全体でカジュアルな雰囲気があったと思います。


3. ライブのノリ方の変化

次にライブのノリ方、具体的にいうとペンライトですね。これについて述べていきます。ここ、ちょっと長いです。
簡潔に印象を述べると、「前より合わないな」です。
いや、もちろん合ってるところも全然あります。
でも、「あれ、この曲で合わないの?」となる場面がありました。

これは主に2つ理由があると思っていて
そもそも曲を知らない
"ペンライトの振り方"が分からない
ですね。

まず、「そもそも曲を知らない」はさらに2つに分けられると思います。
「ライブでやったことないから知らない」「ライブでやったことあるけど知らない」です。
前者は仕方ないんです。ボカロ曲なんてごまんとありますから、それをすべて把握してライブに参戦するなんて不可能。その場で初めて耳にしたがために上手くノれない。マジミラ民からしたらあるあるだと思います。

しかし、後者の存在はマジミラの性質が変わったことに繋がります。
以前は、過去に披露された曲はDVDを何周もして、こっちが演者かよってぐらいペンライトの振り方を体に染み込ませていました。

ところが、今年は「過去にやったことある曲」なのになかなかペンラが合わないという場面があったように思います。

つまり、"勉強"している人が少なくなったんですね。
これも当然、マジミラは12年、その前身となるライブも含めればそれ以上の歴史を誇りますから、そこで出てきた曲のペンラの振りをいちいち覚えるなんて、面倒臭いにもほどがあります。

ですし、それ以前にマジミラへの熱量がなければそこまでのことをしようとは思いません。そして、その層が増えている。

しかしながら、かつてのヲタク達は、わざわざ1曲ごとに暗記しなくたってペンラを合わせることができる"技"を身につけていました。
これは2つ目の理由の「"ペンライトの振り方"が分からない」にも関係します。

そもそもペンライトの振り方っていくつかのパターンしかなくて、それらを適切な場面に当てはめ、組み合わせることによって"その曲の振り"を作っていたんです。
裏打ちで振るのはイントロやアウトロ部分に、ゆっくり縦に振るのは落ちサビやバラード部分に、といった感じ。

これを心得ている人は初見の曲でもある程度は対応できていました。
ああ、曲は知らんけどイントロだからとりあえず裏打ちしとくか、みたいな。
ところが、今年はその"とりあえず"を実行している人が減っていたなという印象でした。
その結果、ペンライトの動きからも今までにない新鮮さが見られたのかなと思いました。


このような、会場で感じた今までにない雰囲気は、プロセカ民が多くいたことによって生じたのだと、そう思います。
なぜプロセカ民だといえるのか、それについて明確な根拠はありません。(おいおい)
一つ挙げるとするならば、公式から「はじめてのマジカルミライ」という初心者向けガイドみたいなのが出されていたので、それが理由と言えるでしょうか。

まあ、近年他にマジミラへの入り口はできてないですから、概ね当たっていると思うんですけどね。皆さんの肌感覚としてもあるでしょう(願望)


よし、マジミラで感じた"違和感"。主に新規ファンについては一段落ついたので、次はマジミラに昔からある文化について話していこうと思います。

それはペンライトについて。
あらどうした、あめりんごさん。さっきペンライトについては話したでしょう。その歳でもうボケてしまったのでしょうか。

いえいえ、そんなことないですよ。
さっき、新規ファンの話の中で「ペンライトが合わない」ことについて考察しました。みなさんも少しは共感できる部分があったのではないでしょうか。
でも、もう一つ大きな理由があると思うんです。
次はそれについて話していきます。


4. 「時代遅れ」のペンライト

攻めた見出しをつけてしまいました。怒らないでください。

それはさておき、「ペンライトが合わない」ことのもう一つの大きな原因。
それは、見出しの通りペンライトの振りが時代遅れになったことがあると思います。それは、他でもないボカロ曲に対して、です。

これまでボカロ曲は常に進化を繰り返してきました。無論、今も進化し続けています。
それに比べてペンライトの振り方は進化したのでしょうか?
いや、確かに"進歩"はしました。主にコロナの影響によって。
声が出せない分、ペンラの振り方にバリエーションが増えた気がします。
昔から参加している人は感じているのではないでしょうか。手拍子をする回数が増えたな、と。

ただ、この程度の変化はボカロ曲の変化に比べたら微弱なものでしかありません。

かつてのボカロ曲はJ-POPの遺伝子が強く、曲の構成もその影響を色濃く受けていたように感じます。
Aメロ→Bメロ→サビを1番とし、2番も同じ展開。その後間奏やCメロを挟んで大サビ、みたいな。

A→B→サビ→A→B→サビ→C→大サビ は王道で聞きやすいですよね。

でも最近のボカロってこれに当てはまらないことが多くなってきたと思うんです。
Gigaさんの曲とかは代表的ですね。
決まったパターンの繰り返しというよりは、曲全体が一本道的な構成になっているものが増えたと思うんです。

A→B→C→D→E→F みたいに目まぐるしく曲調が変化するものもありますよね。

あとは、曲中に急にテンポが変わるとか。この辺は実際の曲がないと分かりづらいですけど。

また、全体としてK-POPやクラブミュージックなど、J-POP以外のジャンルから影響を受けているPが増えたことも関係してるかと思います。

まあ、細かいところはこの辺にしておきましょう。
とにかく、ボカロ曲の性質が急激に進化している一方で、ペンライトの振り方はおよそ15年前のままだったんです。

その結果何がおこったか、それが「ペンライトの時代遅れ」です。
既存のペンライトの振り方では対応できない曲が出てきてしまったんですね。

これは、ゲームボーイでニンテンドースイッチのソフトを読み込もうとしているみたいな、それくらいの無理があると思います。
今のペンライトの振り方では、新時代のボカロ曲は手に負えなくなってしまった。

そのミスマッチのあらわれとして、アドリブがきかなくなり、ペンライトが合わなくなったんだなあと、そう解釈しています。


★マジカルミライにおける"文化"とは


1. マジカルミライにおける"文化"とは

前項でマジカルミライの変化について列挙してきました。
昔から続いてきた法被やペンライトの文化はどことなく、しかし着実に変わってきていると思います。
それを楽しんできた身としては、少し寂しさを感じてしまうんですけど^^;

しかし、私はその変化のすべてに肯定的です。
だって、時代は変わるものですから。
これだけ長く続いているコンテンツならば、当然、時代とともにファンの在り方は変わっていくし、それに伴って楽しみ方も変わっていきます。

みなさんの中にも感じたことがある方がいると思います。
「ちょっとペンライトとかコールとかが古臭く感じるなー」みたいな。
その感覚は間違ってないと思うんです。
かといって、「ペンライトは古くないだろ!」っていう意見が間違ってるかと言われたら、そうでもないと思います。

・・・結局お前は何が言いたいんだ?

回りくどい言い方をしてすみません。
僕が言いたいのは、特定の要素をマジミラの文化として定義づけるのは難しいということです。

そもそも文化って、移ろいゆくものではないですか。
私たち人間の文化においても生活様式が変わったり、価値観が変わったり、明確に「これだ!」って定められるものは数少ないと思うんです。

それはマジミラにおいても同じ。マジミラの文化だって常に更新され続けているはずです。
それを私たちが目にするのが、"マジミラ開催日"というわずかな瞬間であるから誤解しやすいだけであって。

日々、「これってこのほうがいいよね」「いやいや、こっちのほうがいいでしょ」とそれぞれの意見がぶつかりあっている。
それは、面と向かって言葉を発することだけではありません。

なんとなく、「こういうのがいいな」「自分はこうしよう」
そう思って、服装を他と違うものにする。ペンライトを今までにない振り方にする。
それが共感を呼び、「私もこうしよう」「真似してみよう」と他の人の思いが集まって自然と多数派になる。
そういうことだってあると思います。(というか、そっちの方が多いと思います)

そして、新たな多数派ができる代わりに忘れられる文化だって出てくるでしょう。

そうやって文化は洗練されていきます。じっくりと時間をかけて。
そして、そこにゴールはない。
常に「あーでもないこーでもない」って言いながら変化し続ける。
我々は、その時その時に生き続ける。
今日のマジミラには今日の文化があり、明日のマジミラには明日の文化がある。
それはものすごく自然的で、誰か1人の意図によって作られるものではありません。偶然の産物なんです。

あえて定義するならば、マジミラの文化というのは「それぞれの"こうしたい"がぶつかり合って変化している最中に我々が捉えたワンシーン」なのかなあと思います。
(この考えもいつか変化するかもしれませんが)


2. 私たちのあるべき姿

先ほども述べた通り、マジミラの文化は目まぐるしく進化し続けています。
しかしその一方で、私たちが変わらずに持ち続けるべき姿勢があると思います。
それは変化から逃げないということです。
人ってのは昔からあるものに愛着が湧くものですから、新しい事物を受け入れたくないときがあると思うんです。それはそれでいいと思います。それも"こうしたい"の一種ですから。

しかし、新しくやってくるものを理由なく拒否することはあってはいけないと思います。そうやって他の意見に目をやることなく排除してしまったら、単一の思想を持つ人ばかりになってしまい、やがて文化の変化が止まってしまうからです。
また、マジミラというコンテンツ全体の話でなくても、普通に新参からしたら気分悪いですからね。立派な「ボカ老害」です。

新しいものの存在自体を否定せず、お互いに「こうしたい!」を研究しあう。
そういう、お互いに切磋琢磨しあう関係であることが、マジミラの文化の礎となるのではないでしょうか。

そして、それが私たちヲタクのあるべき姿なのではないでしょうか。


★おわりに

今回はマジカルミライ2024に参加して、マジミラというイベントについて、また、私たちがあるべき姿について感じたことをまとめました。

初投稿にしてめちゃめちゃ長い記事を書いてしまいました^^;
拙いところもあったかと思います。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

記事の内容がいいなと思ったら「スキ」を付けていただけると嬉しいです。

それではまた今度!
あめりんごでした。

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