関わるより発信
4年ほどX(旧Twitter)をしている。
高校受験の時に1ヶ月ほど休んだり、たまに1週間ほど休んだりしてきたが、またしばらくお休みしようと思っている。
あまりXというのは慣れないため、ここではTwitterと言う。
Twitterは、私の独り言を誰でも見られるようにしたものだと思っている。
フォロワーが少ないわけではないが、対して関わらない。
TLは何故か悲しい話で溢れかえっているため、あまり見ない。
故に、気が向いたときに独り言を打ち込んでポンッとツイートしてアプリを閉じる。
疲れたわけではないが、試しに休んでみたくなった。
私は受験生であるが、だからTwitterを休もうというわけではない。
呼吸するように続けてきたことを突然やめたらどうなるのだろう、と気になった。
丸1日ツイートせずに過ごすと、ツイートしたい欲を抑えるのが快感になってきて、現在4日ほどこの状態である。
代わりにnoteをまた書き始めた。
これにより思ったが、私は、誰かからいいねをもらうことよりも、思っていることをひたすら形にするのが好きなのかもしれない。
誰かに読まれることよりも、思いを形にすることができたなら、私はそれで満足だ。
それにいいねがついたなら、なお嬉しい。
本当はnoteを書いている暇なんてないはずなのに。
どうにか思いを形にしたくて、今日もnoteを書いている。
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