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日記 無闇に使い果たしていくだけの日常に逆戻りしてしまうから(24/11/15)

・資格試験の結果発表も終わり、いよいよまた本格的に新たな目標を設定する必要性が出てきた。じゃないと、また同じで凡庸な繰り返しの時間を無闇に使い果たしていくだけの日常に逆戻りしてしまう可能性が非常に高いので。

そこで開き直って聞いてみる。今度の目標……いや、もっと深い根底を探る為の自問自答の始まりだ。

「冷螺がやりたいことって何?」

まるで、進路相談室に迷い込んでしまったかの様な漠然とした問いになんとか明確な答えを引き出そうと試みる。

私は何がしたい?私には何ができる?

ここnoteではずっと文章を書いてきた。

「日記」をずっと書いてきた。でも、それは決して自分の日常で過ごした行動を記録として残したかった訳ではない。

日記という体系は名乗っているものの、その内容の大半の内訳を占めていたのは間違いなく他者が生み出したコンテンツに対する抱いた感情の取りまとめであった。

「この曲に人生を救われた」だとか、「この作品の描写には驚かされた」だとかそういう。自己の感情のスナップショットを中心として、できれば他者への布教も視野に入れるそんな言葉を書き連ねていたはず。

良い作品を良いと思った理由。それを通して他の人にも良いと思ってもらう。そういうことだけをしていたかった。

だが、活動を続ける上で揺れ動くハートの数字を見るうちに次第に自分自身の承認欲求を満たしたいという気持ちが強くなっていき、恥部をさらし自責の言葉を沢山吐いて微弱でもいいからビューを集める様になっていった。

好きな物を好きと言える理由は沢山ある。言葉だって沢山紡げる。だけど自分自身は空っぽだった。好きな物は自分のステータスではない。私には人に自慢できる才能もない。だからと言って今から努力をするのはめんどくさい。

分かっていたが、やっぱりなんにもなかった。心の中は空虚であった。

だからこそ、唯一ずっと一生を通して感じている劣等感。それを言葉にした。不幸でいることをアイデンティティーにしてしまいたかった。憂鬱で満たされないことを嘆くことで数字を満たしたかった。

そうしている間にいつしか、私はnoteの記事で暗いことしか書けない様になっていた。そしてそんな事を書いても数字は全く伸びなかった。

とても惨めだった。何をやっているんだろう。こんな事、書いても何の役にも立たないのに。

「引退するしかない」そんなドン底まで思考が落ちた時もあった。

でも、最近は違う。

今でも暗いことを言ってしまう。だけど、昔よりは幾分かマシになったはず。好きな物の話だって昔みたいにちゃんとできる様になってきた。

だから……noteでの目標は「数字に囚われないこと」。

いや、違う。そうじゃないんだよな。決めるべき目標ってのは。

うーん。資格をまた取るかな…?

真面目に勉強をしよう。できるとは言えないけど。でも、一回は成功したんだ。次も…いや、それはわかんないけど。コツコツやればちゃんと振り向いてくれるから。負ける可能性がある場所へ行こう。結果は最悪どうでもいい。せめて、挑もう。

そうすればいずれ、日向を浴びれる日が来るかもしれないから。

また明日。


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