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障害は個性なのか? What the hell is Kosei(individuality)?


障害はその人の個性である。

最近流行りのClub house というアプリで障害に関するトピックをもとに話す回に参加した。そこで当事者であったり障害のある方と仕事をする人、など様々な人々が障害について話していたときに誰かが何気なく言った言葉だ。そして障害や福祉の分野でのトークショーの参加すると度々聞くフレーズ。

うーんなんでなんだろう。なんだかもやもやする。

私は青春をイギリスで過ごしたため、引っかかる日本語の表現と遭遇したときに頭の中で英語に変換して考えてみる。

Disability is that person's character.(障害はそのひとの特有のキャラクターだ)

Disability is that person's individuality. (障害はその人特有の個性)

Disability makes that person who they are. (障害がそのものがそのひと表す)

他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性を = 個性(individuality)という

当事者のひとりとしては障害が自分の一部であることはまちがいない。しかしそれが自分の性格や特性までをひっくるめてしまうのかとおもうとなぜがへんな感じになる。

私は愛する家族に恵まれ育ったが、幼少時代と青春時代は自身のアイデンティティーと葛藤しながら生きてきた。時には脳性麻痺の特有のへんな歩きや車椅子を使うこと、時には人種のこと(特にアジア系であると差別はかなりの頻度で怒る)などで様々な経験をしてきた。

そして私の親は口をそろえていった。「自分が自分であることを決して謝るな」それはいいかえれば「障害や人種で自分を define(固定)するな」ということ。

そうかんがえると障害が自分の個性であるという考えと全くもって反対だ。

親が言う自分を障害だけ、〇〇だけに固定させないためには、何かをやらなければ始まらない。

そのため興味あることはなんでもするようにした、バスケ、サッカー、映画づくりなど。

そのなかで16歳にビジュアルアートにであった。素晴らしい先生に出会い、気になることを調べ尽くし、アートという手法で様々な表現をした。そのなかでデザインというものに出会い、自分の「技」を手に入れ始めた。

そして私は大人になるにつれて、独り立ちをしていくなかで、親元をはなれ、自ら社会とのかかわりのなかで自分自身の障害と向き合い始め、様々な経験をしながら共存する術を覚えていく。自分の職の「技」と生きる「技」を同時並行で極め自身の身体と心の中にインストールしていく。

その中で気づくデザイン、障害、人種、性別 これら全てのことは自分の個性でもなんでもなく、紛れもない「事実」であるということ。

そしてその「事実」とどう共存しながら生きているか、が「個性」なのだ。

自分の紛れもない事実とどう共存しようと決断するか。そこにそのひとらしさ、いわば個性が眠っている。

唐突な例かもしれないが、それは元チーママの経営者がどうチーママである自分の特性を事実として受け止め生きてるかと同じ感覚だと私は思う。自分がチーママであったことは確かだしそれが自分の性質や人生経験を作ったことは間違いない。避けていても自分を取り巻く事実出し消えることはない。そして経営者としての自分に役に立つ側面があるかもしれないしないかもしれない。だから避けてもしょうがないし、避けなくても害はない。だからいっそ、そうだよなと言い切ることで他のことを考えるスペースが頭の中にうまれる。

とはいえ、障害だけでなく自分自身の事実で悩んでいる人はいると思う。障害だけでなくそういう人には次に3つのステップを提案してみたい。

STEP 1.   ADMIT   自分の事実を認めるこの事実はどうやっても変えられないものと受け止める。

STEP 2. ADJUST どう共存するかをいろんな方法で試し調整する
これは受信をしながら発信へ変えていくステージ。
同じような遭遇の人のコミュニティーや、趣味など自身の事実とは直接関係ない分野のもので自分というものをみつめながらさまざまな体験をして自分の特性を見つけていく。

STEP 3.  ALIGN その事実をどれくらいの度合いで調和し共存するかを試していく
ここは発信のステージ。時と場合により自分の事実をどの度合いで出していくかが変わる。自分ができる範囲で「事実」だしていき周りの反応を見ながら自分が事実を出せる心地よい範囲を決める。

ライラはライラ。これらのステップを踏んで自分の多方面の事実と向き合いながらようやく様々な事実の重みから脱皮した気がする。

自分の事実は自分しか持っていないもの。表に打ち明けてもいいし打ち明けなくてもいい。本当に自分次第で言わないからって、他者が批判してもいけないとおもう。

ただ障害は個性であるという言い分はある種の強制としか私は思えない。だからもし使うときにはなにをもっていっているか考えてから発言してほしい。個性じゃなきゃいけないと思うとプレッシャーに感じちゃう人もいるから。

(絵:安澤美里)

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