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漂う記憶/端切れの街(2024.12.18)

 ある程度年を重ねたら、というか別にそんなに重ねていなくても、大抵の人がそうなように、わたしもやるべきことをいくつか抱えていて、時にその子たちを用意周到に片付けながら、ときになんとなくその辺を漂わせておきながら、毎日を過ごしている。漂うと言ったけれど、彼らは本当は鉄筋コンクリートでできていることを知っている。そして、なぜか命を持っていて、一つ枯れてもまたにょきにょきと別なやつが生えてくる。

そういう鉄筋コンクリートの群れの中にも、その日陰から外れて、てんで勝手なことをしている子たちもいる。わたしは今、一般の感覚よりも長く学生生活を過ごしてから社会に出ていく前の、狭間の時期を過ごしている。今のうちにできそうなことはなんでもやっておこうと欲ばった結果、大小さまざま、カラフルな鉄筋コンクリートの間を駆け巡っているけれど、あえて今の時期を言葉にして残すなら、そういうはぐれ者たちのことを書いておくのもいいかもしれない。

 たとえば、最寄り駅から今の部屋まで歩いて行く道の途中に建つ民家には、玄関の壁にふくろうの絵が嵌めこまれている。裏側に照明があるので、夜中に前を通り過ぎると、ぼうっと光って、絵を囲む丸い木枠の内から今にも飛び立っていきそうに奇妙に浮き立って見える。もう少し歩くと車の往来が激しくなって、チェーン店もいくつか並ぶ大通りに出るけれど、その脇の住宅街の、少し開けたところに目をやると、イギリスのゴーストストーリーに出てくるお屋敷みたいな古風な家がぽつんとある。本家のホーンテッドハウスは広い庭に囲まれて、周囲から隔絶されているイメージだけれど、こちらのはあくまで住宅街の一部なので、こちらから見ると宅配便の営業所の素っ気ない緑色に遮られかけている。明らかに周りの風景とミスマッチを起こしているのに、6年間過ごして、この家に気がついたのはつい最近だ。誰かがみんなにばれないように、こっそりゆっくり造っていったんじゃないだろうか。ついでに言うと、周りを囲む家にもおもしろいものがあって、表から見た造形は隣に続く家々とほとんど同じなのに、横から見ると小さなベランダみたいなスペースがたくさんくっつけられていて、その一面だけちょっとしたお城みたいな風格がある。それから、今のアパートのすぐ隣にある一軒家は、人工的な青緑の色合いといい、玄関前に停めてあるステッカーがペタペタ貼られたキャンピングカーといい、なんとなくレゴブロックのカタログからぬけ出して来たような感じだ。一度、その家の窓際で微動だにしない黒猫と目があったことがある。瞬きくらいはしていたんだろうけれど、夜だからそこまでは分からなくて、猫の顔が向いている方向からなんとなく、いま目があっているんだろうなと思い、わたしも猫の目のあるあたりに検討をつけて、見つめ返してみた。そのあいだ、猫は本当にまったく動かなかったので、猫までレゴブロックになってしまったみたいだった。

 住宅街からまた駅の方向に戻って、路線乗り換えができる別の駅まで電車に揺られていく途中で、私の故郷の景色にそっくりな家並みが見える。家の並び方や、坂道の傾き具合が本当に似ている。その故郷のほうの景色も、毎日歩いていた登下校の道とかではなく、ときどき中心街に行くために電車に乗っている間に、一瞬目の前を通り過ぎていく景色の一つだったことまで同じだ。いつだったか、ちょっとうとうとしながら電車に乗っていて、ちょうど何かの拍子で少し意識が戻ったときに、故郷にそっくりな景色が目に入り、瞬間、タイムスリップか瞬間移動でも成し遂げてしまったのかと思って慌てたことがあった。すぐに「ここは東京」と気づいて落ち着いたけれど、それからしばらくは故郷にいたときの、中学生か高校生くらいのわたしの感覚が呼び覚まされたままになってしまったので、その日その後会った人たちには、あの頃のわたしが応対していたかもしれない。

 それなりに長く過ごしてきた街は、そこで暮らす人たちの(そのほとんどを、わたしは顔も知らないけれど)想念や思い出のパッチワークみたいに思えるときがある。その中には、わたし自身の取るに足らない一瞬の記憶もある(部屋から出られずにいると、天井がぐんぐんこちらに迫ってくるような気がしたこととか、夜中の駅で、つぶつぶミカンジュースを奢ってくれたあの子のこととか、いちごのキャンディーをあげたのを私は忘れてしまっていたけれど、でもメッセージ付きの個包装は本当はずっと取って置いていたこととか、駅前のブティックで祖母がよく着ていたのと同じ柄のショールを偶然見つけたことだとか)。順当にいけば、もう数か月でわたしは学校から卒業し、この街を離れるけれど、卒業という区切れ目は恣意的なものなので、きっと実際には、さまざまな情景を背負って、あるいはその辺に漂わせて、わたしは新生活を始めるんだと思う。その後に続く毎日の中で、わたしはこの6年間のあいだのもろもろの何を思い出して、どんな自分を呼び覚ましながら、また暮らしていくのだろう。






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