人気爆発してるYouTuber、inliving.さんについて
最近、「おお!!」と思った、お気に入りのYouTuberがいます。
普段は本について書いてますが、今回はその紹介と、僕なりの感想を綴ります。
チャンネル名は、” inliving. ”。「イン リビング」と読みます。
ririkaと名乗る、可愛くて、とても透明感のある、女性が出ています。
動画のジャンルは、Vlog(Video Blog)と呼ばれる、動画を使ったブログ。
日本では「~してみた」のような企画を売りにするYouTuberが主流ですが、
inliving.は、どちらかというと、料理をしたことや、初詣に行ったことなど、日常の一部を切り取ったような動画を上げています。
このチャンネルが、すごいスピードで人気急上昇中です。
チャンネル登録者数が、なんと1か月で10万人越え(一昨日のこと)。
これほど人気なのは、なぜか。
1. inliving.は自然体
inliving.の魅力は、動画に見られるririkaさんの暮らしぶり。
ririkaさんは、ベリーショートに薄化粧で、部屋も服装もシンプル。花を飾り、無印良品のパジャマで眠る。トマトクリームパスタなど毎日自炊をし、なんと自分で糠漬けまで作っている。
こんなに「丁寧な暮らし」、「自然体の暮らし」が送れたら幸せだろうな、と思う。そして、ひと時の癒しを求めて彼女の動画を観てしまう。
そんな魅力がこのチャンネルにはあります。
2. 「inliving.は自然体」は作りモノ?
その一方で、inliving.の「自然さ」に違和感を覚える人もいるらしい。
この違和感の一因は、ririkaさんが本来持つ「自然さ」が、映像の作り方によって一層強調されていることから来てる、と僕は思いました。
ので、inliving.の撮影と編集について、僕なりに気づいたことを書いていきます。
①撮影
まずは、その撮影について。
ほぼ全編を通して、見事に構図が決まっています。
美しいです。知識と経験がなければこうした構図では、まず撮れない。
さらにこの上目使い。
カメラを、目線よりも、やや高くセット。俯瞰で撮ることで女の子は上目使いになり、小さく、可愛く印象を与える。また、このチャンネルの肝である、ririkaさんの、はなかい雰囲気も出すことができる。
カメラの被写界深度を浅くし、背景をぼかしていることも被写体の非現実的な雰囲気を演出するのに有効。布団や家具がはっきり映ることによって、生々しい生活感が出るのも防ぐことができる。
僕は、これまで流行ったYouTuberで、こんなに丁寧に撮影している人は見たことがなかった。
極めつけは、夜の日課を紹介する動画で一瞬入る、このカット。
「次はお風呂に入ります」ということを言うために、わざわざカメラを床に置いて、構図を決めて、歩いてみせるYouTuberを、これまで僕は知らなかった。
YouTuberが当然のようにやる自撮りがほとんどないことも面白い。
また、醤油とみりんが入ったボトルにはラベルがついていないため、商品名が分からない。余計な生活感を出さないための配慮なのかな、と思ったが、これは考えすぎかもしれない。
②編集
次に編集について。
まず、メジャーなYouTuberの編集の特徴は、「ジャンプカット」を多用し、元の映像を細かく切ること。面白い瞬間だけを次々に繋いでいく。
それに対しinliving.は、情報を詰め込まないことで、ririkaさんのスローな生活を、効果的に表現している。
例えばこの動画の、5:28あたり。
30秒以上かけて、ほぼフレームの外でスパゲッティを皿に盛っている。「空気感を伝えることを大切にする」という編集の意図がなければ、まずもって切られる部分だ。
こうした余白の多い編集が、inliving.が提示するスローでマイペースな暮らしというテーマを伝えるのに役立っている。
ナイトルーティンについての動画では、自分で後からナレーションを入れる、という手間を全体の雰囲気を落ち着かせている。普通のYouTuberは、その場でしゃべって、その言葉を使う。
そしてテロップは、いま流行りの「白、縁取りなし」。
おしゃれな雰囲気を出しやすいものを、ちゃんと選択している。
③つまりプロの方が関わっている
要するに、動画の随所でプロの技が光っているということです。
その技とは、ririkaさんが送る「自然な暮らし」というイメージを、視聴者により強く印象付ける技術です。
ririkaさん自身が「自然な暮らし」をしていることに加えて、それをより「自然な暮らしだ」と感じさせるように映像が作られているから、僕たちはririkaさんを見て「自然な暮らしだ」と感じます。
そうした映像表現の技術を発揮しているのが誰なのかは分かりませんが、チャンネルにディレクターがいることは本人が明らかにしています。
動画の概要欄にも「director : Hikaru Suenaga」とあります。
初詣へ行った動画には、撮影者がいるので、この方なのかな。
これ以上の憶測は意味がないので、やめます。
3. 「『inliving.は自然体』は作りモノ」で、素晴らしい
穏やかで幸せな動画に、気持ち悪いし野暮なツッコみを入れてしまいました。
でも僕は、「inliving.はニセモノだ」とか言いたいのではないです。
ここまでプロの技術を活用し、それを人気に結びつける、すばらしい動画の登場に驚いているということです。日本の映像コンテンツの段階が少し未来に進んだのではないかと。
このような方向性の動画が増えていくのか、そうではないのか、気になっています。
妄言
ここからは、より一層個人的に感じたことです。
上記のことなどと同時に思うのは、このような映像がテレビで流れていても、受け入れられなかっただろうな、ということです。
テレビのコンテンツは、それがある程度「作りモノ」であるという了解が視聴者にあります。そういう前提で見てしまうと、inliving.の動画は「自然さ」よりも「違和感」に目がいきやすくなる。
一方で、YouTuberに関しては、高度な「作りモノ」がこれまで少なかったので、視聴者はある程度、「本当にこういう暮らしをしている人がいて、それをありのままに伝えている」という前提で動画を観ている。
そうした状況のYouTuber界に、これほど作りこまれた動画がやってきたので、多くの視聴者は、inliving.の動画を「作りモノ」だと断ずることなく、「自然さ」を読み取ったのではないかなと。
以下、さらに死ぬほど蛇足。
蛇足①
inliving.の動画を観て、その生活に憧れる、または劣等感を持つ人がとても多いこと、そして、その気持ちから、実際に無印良品のマサラチャイやパジャマを買うなどといった、消費行動に移った人がちらほら見られる、のが興味深い。
この状態はまさに、フランスの哲学者、ジャン=ボードリヤールが指摘した”消費社会の構造”の典型例なのです!(たぶん)
inliving.の動画を観て憧れた、または劣等感を感じた人は、動画内のririkaの生活と、自分自身の生活との差異を感じています。そしてその差異を埋めようと消費行動を起こしている。
で、その感じている差異は、単純に自分が持っていない商品をririkaが持っているという差異ではなく、自分が持っているものと比べて”より良い”ものをririkaが持っているという差異です。
inliving.を観てパジャマを買った人は、パジャマを持っていなかったのではなく、自分のパジャマがririkaの着ているような、自然で豊かな暮らしを体現するパジャマでなかったことに劣等感を感じたのでしょう。
この状況において、パジャマという商品は、それ自体の使用価値だけでなく、それを持っている/使用していることによる、社会的な権威や幸福感といった他人との差異を示す存在(=「記号」)になっている。
というふうに、ボードリヤールは考えました。
さらに、その差異を感じる対象、憧れ/劣等感の対象は、流行によって変化する。それによってまた新たな消費が生まれます。
つまり、時間が経てば、また別のririkaが現れて、視聴者に憧れや劣等感を抱かせる。そして視聴者は別のパジャマが買いたくなる、ということです。
現代人が、生きるのに必要なものは大体持っているのに、消費をやめられない原因はここにあり、こうして消費社会は回り続ける、ということです。
現代社会についての鋭い論考なので、興味のある方はぜひ一読を。
(と、消費行動に駆り立てる。↓)
蛇足②
inliving.を観て、「自然な暮らしっていいなあ」と思いつつ、「自然ってなんだ?」とか思ったりして、とりあえずなんかもやもやする!!!
そんな私たちにうってつけの、最高のフォークシンガーがいます!!
僕も大好き、我らが吉田拓郎!!!。
彼のデビューシングル「イメージの詩」より。魂の叫びを聞いてくれ!!
いったい おれ達の魂のふるさとってのは どこにあるんだろうか
自然に帰れっていうことは どういうことなんだろうか
誰かが言ってたぜ おれは人間として 自然に生きてるんだと
自然に生きてるって わかるなんて なんて不自然なんだろう
「自然に生きてるって わかるなんて なんて不自然なんだろう」。
「自然に生きてるって わかるなんて なんて不自然なんだろう」。
私たちが感じる「自然さ」への違和感をこんなに見事に言い表した言葉があるでしょうか!拓郎サイコー!!
「自然に帰れ」というモードは、手を変え品を変え、いろんな時代で現れてきました。今後も私たちを苛むメッセージであり続けるでしょう。
それを見事に相対化してみせた拓郎の言葉。
フォーエバー拓郎!!永遠の嘘をついてくれ!!