死体じゃない
死体、と陰口をたたかれていた同僚がいる。音楽家にもいろんなタイプがいるが、彼女は日常的に感情表現が少ない。それは彼女自身の表情やしぐさの話だが、彼女の演奏の仕方もどんな時も変わらない、という事であいつは死体みたいだ、と口の悪い人が言ったのだ。
その彼女が、仕事の合間においしいものの話をしていた時に、その店一緒に行こう、と言い出し、じゃあ今日の午後いこうよ、と急いで話をまとめてその日の午後、おしゃべりをしながら散歩して、ランチを食べて買い物をして、ケーキを食べて帰ってきた。これは、ちょっと人に驚かれる出来事だった。彼女があんたと出かけたの???意外だわ、と。
でも実は私にとって彼女はじんわりと親しみを感じている人だったりする。この間、仕事で外国の空港にいたときも、ねぇ、助けて、生理になった、というからなんでももっているカバンのでかい同僚を捕まえてタンポンをふんだくったあと、空港内の薬局を探してナプキンを買った。えらく感謝されコーヒーを奢ってくれた。内気な人というのは、やみくもに人にタンポンよこせと言ったりするのは苦手なのか、とその時はじめて気が付いた。私なら、生理に気が付いたトイレで、その辺にいる人にタンポン貰う。
彼女は私の100倍繊細なのかもしれない、と思った。
昨日は仕事の後、みんなでビールいこう、という話があったから彼女にも行きたいかどうか聞いてみた。今日はちょっと疲れたし、やめとく、といった答えはそんなに驚かなかったけど、彼女は急いでこう付け足した。
『聞いてくれてありがとう。今日はいかないし、私よくノーっていうけど、何でも何回でもさそってほしい。』
これは、ちょっと驚いた。確かに職場で彼女に、飲みに行こうなどと言うのは私くらいだ。多くの人のイメージでは彼女はそんなの行きそうにないから、誘わないのだ。でも、実は多分勝手にそう思い込まれただけで、彼女自身は本当は誘ってもらえば、行きたいと思う時もあったんだろう。
死体なんかじゃない。
なんだか、図書委員がめがねとったらかわいいみたいな話じゃないですか?