自己紹介ができない人間にはやりたいことがないのか?という話
新入社員で配属されたとき、自己紹介で「苦手なものは自己紹介です!」と言ったらだだ滑りした。
自分という人間を表現するものとして、趣味や特技が言えないと思うようになったのはいつからだろうか?
特技に関しては、言えなくて当たり前だと早々に思っていた。だって「特技」ですよ?「特(別)な技(術)」ですよ?
人より優秀じゃないと挙げられないものなんて、私なんぞにはございません。
ちなみに運動に関しては小学4年生、勉強に関しては中学3年生の時以来、得意だと思ったことはなかった。
趣味は、できかけたことがあったけど消えた。恐る恐る膨らませていたシャボン玉が膨らむ前に弾けたような感覚だった。
中学に入ってからの部活動は、運動部はメジャーなスポーツが大変そうだから手が出ず、文化部は陰気臭そうに思ってあまり気乗りせず、結果的にマイナーで活動頻度の低い運動部と文化部を掛け持ちした。(その後、色々あって運動部のほうは潰れたが)
コンテンツを消費するような趣味に関しては…これも趣味になりかけたが挫折した。幼い頃からなぜか人に自分の好きな物が言えないのが癖になってしまっていたのだ。
テレビ番組なら、いい歳をしていて幼稚園児の見るような物を見ているのがダサい。
ミュージシャンなら、あのバンドは大衆受けばかり狙っていてダサい。
など、とにかく自分の中で勝手な理由付けをして、これは人に言わずに自分だけで楽しんだほうが得だという結論に達した。ちなみに、部活選びのときも好きなものを人に黙っていたときも、自分の中で無自覚の打算・損得勘定があったことにはかなり後になってから気づいた。
趣味とは少し違うが、自分は大学受験のときの学部・学科選びにも相当苦労した。どの分野もその道一つしか選べないとなると決められず、理系のほうが(まだ)面白そうなので目指すことにしたが自分には苦手科目しかなく、浪人した末に入学を決めた学科は「文系・理系合わせてもここが一番つまんなさそ〜〜」と思ってしまうものだった。
(ちなみにそこに入学を決めた理由は偏差値と学費です。ええ打算ですとも)
そういうわけで、気がついたら思春期の終わりから青年期の始まりまでには、趣味なし興味なし特技なし、要するにやりたいことなしの人間が出来上がることとなった。
しかしここまでのザ★陰気な生いたちとは裏腹に、今の自分の心境は意外と穏やかなものとなっている。簡単に言うと、やりたいことがないことが生きづらさに直結していると感じていた感覚から少しずつ脱却し始めてきたのだ。
(それまでの経緯についてはまたどこかで触れるとして、苦手な自己紹介をすっ飛ばしてnoteで最初に書いた↓のポエム。。は加工なしの今の自分の感覚である)
「若い時は、何かを好きになってもその分野の広がりのほんの一部分だけが好きになりがちで、それゆえ世間に溶け込めない感覚があった」
「やり続けたいことはなくてもやりたいことはある。休みたいということだってやりたいことだし、休むことや遊ぶことでさえ無限にやり続けたいことではない」
これは30数年にわたってやりたいこと・自分自身そのものがわからなかった男の人生の見え方が少しずつ変わっていくお話(の予定)。