入院して現場がどんどん飛んでいった話
ずっと熱が出てるなーと思っていた木曜日、近くのクリニックに行ったものの特に薬も処方されず週末を迎えた。
土曜日の朝は微熱程度で、二丁目の魁カミングアウトのフライヤー(うちわ)配りを数時間待機したのち、8月末で活動を終えるWi-Fi-5のライブを見て@JAM EXPOに行った。
横アリに向かう道中で熱がどんどん上がっているのが分かったけど高額なチケットを無駄にはしたくなくて、行き慣れた新横浜からの道を1人這うように進んで行った。
これといったお目当てもなかったので、お気に入りの演者が続くキウイステージだけ見ることにした。横アリの4階がめちゃくちゃ遠かった。
ちょうど大好きなデスラビッツのメンバー達もステージを見学していて、それを横目にライブを目いっぱい楽しんだ。飛べ!と言われれば飛んで、手を挙げて!と言われればそうした。ジャンプするたびに頭が割れるようだったけどとりあえずライブは楽しかった。大阪☆春夏秋冬のRUNAちゃんがウィンクしてくれた気がする。アップアップガールズ(仮)の古川小夏さんには微塵も気付かれなかった。そして命がけで帰宅。
@JAMの本番はデスラビッツも二丁目の魁カミングアウトも出演する翌2日目、その為に絶対体調を整えなければいけない。すぐに寝て元気に起床!という展開を望んだ。しかし日曜日の朝はもうすでに起き上がれない状態だった。
心配する夫を横アリに送り出し、自分も落ち着いたら追いかけようと思っていた。しかし、何とも言えない怠さが体を離れず横アリは実際の距離よりも明らかに遠かった。
月曜日にはA.B.C-Zのコンサートのために京都に行く予定だったし、その新幹線に乗る前には二丁目の魁カミングアウトの朝ライブを見に5時起きで新宿に行く予定だった。
フリーゲイモーニング(朝ライブの名称)はさすがに無理かも知れないけど、京都には行かなきゃならない。それに横アリにだってまだ間に合うからとにかく病院で薬をもらおう、このままでは動けない。
そう思い、総合病院の救急までタクシーで行った。キンブレと特典券を持って行こうかと思ったけどあまり余裕もなくて財布と診察券、今飲んでいる薬の説明書だけ持って出た。
やたらクーラーの効いた救急ロビーで待たされ、問診に検査、検査、検査と気付けば3時間以上経っていた。
もう横アリには間に合わないか、いや最後のストロベリーステージに行ければフィロソフィーのダンスと二丁目の魁カミングアウトは見られるし、フィナーレで@JAM ALL STARSも見られるな、デスラビッツの物販もワンチャンあるか?そう思っていたところに看護師さんがやって来た。
「ごめんなさいね、順序が前後しちゃうけど先に入院のお部屋のお話するわね」
え?入院?
何かの間違いだと思った。もし万一自分のことだとしてもそんな必要はないから断ろうと思った。するとまた診察室に呼ばれて入院の説明が続いた。え?何?さっきの検査なんだったの?
話が見えないまま話を聞いているうちに、どうやら検査の結果が悪く入院しなければいけないらしいということがわかった。
入院?それって2、3日くらい…?明日の京都えびコン(A.B.C-Zのコンサート)どうしよう、と思った。
しかし、よくよく聞いたら「とりあえず1週間」とのこと。
1週間?入院?
1週間後は自分の誕生日でデスラビッツのリリイベと二丁魁(二丁目の魁カミングアウト)のフリーライブに行って誕生日だと言って最高にハッピーなチェキを撮ってもらう予定だった。
それにデスラビ(デスラビッツ )のCDはその場で100枚予約して推しの望月愛実ちゃんとのカラオケ特典を自分へのプレゼントにしようともしていた。
しかも、その前日はまさしくWi-Fi-5のラストライブで、お披露目からその行く末を見守ってきた愛すべきグループを見送る日だった。
ちょっと意味がわからない。
しかも、誕生日翌日には関ジャニ∞のコンサートに行くのだ。
つまり、困る。
気付いたら不惑を目前にした大の大人が号泣していた。
「あらあら、急に入院なんてびっくりしちゃったわよね。大丈夫?」
違う、違うんだ…
首を振りながら「楽しみにしてた…予定が…あって…」と看護師さんに伝えた。
「そうだったのね…それはかわいそうに…いつなの?」
いつ?…いつ?
とりあえず今日と明日と明後日と次の土曜と日曜と月曜だ。
「あ、明日です……」
「明日…!それは…でもね、お気持ちはわかるけど、私は病院側の人間だから…この数値のあなたを今病院から出すわけにはどうしてもいかないの」
何の病気だかわからないけどもうどうしようもなさそうなので腹をくくって入院手続きをした。
泣いている大人に優しいけど経済的には全然優しくない配慮がなされ気づけば個室に入院した。めっちゃ広い綺麗な部屋だった。
これからどうしよう…@JAM行けないじゃん…もう絶対間に合わないから京都のことを考えよう。
とりあえず全然納得もいかず諦めもつかないまま、チケットは同行予定の友人に託すことができた。
そして京都までの新幹線、そして宿、これは大好きなアイドリッシュセブンとJRのコラボ企画「オフ旅」のパッケージツアーだった。
京都まで足を運んで初めてノベルティグッズ(ランダム)などを手にすることができる、実は2回目だったが前回お目当のキャラクターのグッズを引き当てることができなかったので満を辞しての2回目だ、これはどうしたら…。
失意の中、Twitterで助言を得てよくよく確認したところ半額負担でキャンセルできることがわかった。手続きを終えて金銭上の問題は少しだけ解決したことにほんの少しだけ安心した。
次は週末までに退院しなければならない。
しかし、入院してすぐに容態はみるみる悪化、永遠にも感じられる地獄の時間がスタートした。どうやら細菌感染症らしい。血液に細菌が入っていた場合、本当に命に関わる。もうこのままでは誕生日も迎えられないかも…と悲観的になりつつも、病室に好きなアイドルが次から次へと来た時のタイテを組んで乗り切ろうとした。
そして木曜日ごろに週明けの検査の話をされ、終わった、と思った。
週末のライブにもイベントにも行けない。ちなみに平日にも行く約束をしていたライブがいくつかあった。
誕生日は病室になった。
しかし幸い優しい友人達が見舞いに来てくれたし、前日Wi-Fi-5のラストライブは夫が代打で行ってくれた。
誕生日の日には友人がリリイベ帰りにチェキと寄せ書きを持って見舞いに来てくれた。涙が出るほど嬉しかったし、病室にいながらにして大好きなアイドルに力をもらえた。(そして二丁魁メンバーの1人は時を同じくして長期休養に突入、誕生日に行く予定だったライブは内容が変更になった。心配だ)
少し容態も落ち着き、何と翌日の関ジャニ∞のコンサートには外出許可を得て行くことができた!奇跡。
座ったままで、そして最後までは見ることができなかったが、コンサート会場は間違いなく「日常」だった。
ここだ、ここに帰ってくるぞ…と思いを胸に病室に戻った。
火曜日、歌舞伎座に秀山祭を見に行く予定だったが何とか従妹にチケットを譲って見送り、水曜日はジャニー喜多川氏のお別れ会の様子を東京ドーム帰りの妹から聞いた。東京ディズニーシー18周年の様子はTwitterで眺めた。
続いていた現場の予定はここでひと段落、退院できるかと思いきやもう1回週末を経て、判断するということになった。
えええ、月曜日は飯田來麗ちゃんと野元空ちゃんが共演する(夢の)舞台「月夜に舞い上がる桜」を池袋に見に行くはずだったのに???
またひと現場諦めることになった。
もうそろそろ元気になってもいいのでは。
しかし、どうも胸が痛い。週明けの検査の結果、炎症が広がり胸水が溜まっているということがわかった。そして追い討ちをかけるかのように身体中に薬疹が出てしまった。
この時点で次の週末も入院が決定。
A.B.C-Zがベスト海老賞を受賞した日本海老協会のえびフェス、そして春から楽しみにしていたデスラビッツのワンマンライブに行けないことが大決定した。
ここまででわかる通り、日常的に行っている現場はたくさんあるし、推しも趣味も多すぎるほどにある。しかし、メインの現場は?1番好きなアイドルは?と聞かれたらデスラビッツと答えて暮らして来た。
この6年間、全通にこだわるオタクでもなく、スケジュールや地理的に行きづらいライブには行かない選択をすることもほとんどで、全然ちゃんと応援できてなかったと思う。
目立ったライブにだけやって来るオタク、メンバーや他のファンと一緒に苦楽を共にして来たかと問われたら確実にノーだと思う。
だけど、誰も友達のいない他のライブで、仲間とワイワイ楽しそうな人たちを見て思い出すのはデスラビッツ軍の姿だったし、楽しいライブに満足した後はデスラビと対バンしてくれたらいいなあと思うし、デスラビよりも大きなステージに立っている姿を見てはどうやったらデスラビがこのステージに立てるのかを考えていた。
8月の頭にも高熱が出て(この高熱は今回の入院の伏線だったと思う)、その熱が下がるや否や二丁魁のライブを見に台湾へ行ったのだけど(この無理な遠征が決定的に体力を低下させたと思う)楽しそうなおなカマ(二丁魁のファン)を見ていたら1人ぼっちで台湾まで来たことが途端に寂しくなり、デスラビと一緒に台湾に来た日のことを思い出して泣きそうになった。
「早く帰りたい」と思いを抱えて、帰国して数時間後にはお土産も抱えてデスラビのリリイベに文字通り馳せ参じた。
いつもの仲間といつものステージに「帰って来た」実感があった。
不真面目で気の多いオタクだけどそんなデスラビのワンマンだけは欠かさずに見て来た。
デスラビのここまでの歩みは不運に塗れてはいないけどどこか不器用で、みんなで頑張れ!頑張れ!と一つ一つ山を乗り越えたり、乗り越えられなかったりしながら6年間止まらずにやって来た。
毎回のワンマンは、そんな「今」のデスラビをみんなで確認して楽しんで軌跡を振り返って前に進むような、大事な時間だった。
特に今回のワンマンは「成蝶」(成長)がテーマで、ローティーンだったメンバーが20歳も目前の年齢になり、まさしくその成長を実感できるようなそんなライブのはず。
初披露も盛りだくさん、絶対にこの目で見たいと思っていたし、見られないなんて考えたこともなかった。
つまり、入院当初の心配に、デスラビのワンマン、は入っていなかった。そんな時期まで入院しているとは全く思わなかった。もう入院して3週間だ。
次の現場があると思うな!と昨今はアイドルすらも口にするようになったけど、次の現場があるかどうかはアイドルの事情のみならず、自分の事情で左右されるということがとてもよく分かった。
世の中の美味しいもの、楽しいことは、全部健康ありきのことなんだと痛感した。健康でいるうちはとても鈍感だ。
そして自分のスケジュールは全部が全部、現場中心に回っていることもとてもよく分かった。仕事や家族の心配もしなかったわけではないが、この入院で失ったのは数多くの現場だ。
「オフ旅」キャンペーンはもう終わったし、A.B.C-Zのコンサートツアーも終わった。
@JAM EXPOのメインステージに初めて立つフィロソフィーのダンス、二丁目の魁カミングアウト(悲願のメインステージだ)はもう二度と見られない。
ラストライブは言わずもがな、ギリギリ入院前にライブを見ておいてよかったと思うけれどWi-Fi-5のライブを現世でもう一度見られる保証はどこにもない。
「今」のデスラビッツのワンマンライブは「今」しかない。
もちろん自分の健康が第一だ、命があるからライブを楽しむことができる。
それは鈍感になりすぎて忘れられてしまうくらいの大大大前提。
誕生日が来て本当によかった。
だけど誕生日当日にチェキ撮りたかったな、とはまだどこかで思ってしまう。
仕事や旅行で日本を離れるとなった時も最初に調整するのは現場だし、大事な現場が被っていたら予定自体キャンセルする可能性も大いにある。
もちろんこれまでそういった事情で諦めた現場がないわけじゃなくて、その辺はとうに諦めがつくくらいオタクをやってきたつもりだったけどこの入院はさすがに応えた。
6人の関ジャニ∞をこの目に焼き付けられたことだけがせめてもの救いだ。
週末は歌舞伎座リベンジ、そしてフィロソフィーのダンスや二丁目の魁カミングアウト、ベッド・インが出演するオトタノ、デスラビのリリイベも続くしCD100枚買わないとならない。
今週こそは退院したい。こう思えるのはいろいろ恵まれた環境にあると思うが、今一度思う。現場に帰りたい。