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【待つ】ことも愛


いつからか【自分がやる、自分でやる】と自分で何もかもコントロールしていることに気付いた。

自分は本当はこうしたい!を蔑ろにし、
体の不調にも気付いてたのにそれも蔑ろにし、
精神的にも肉体的にも何が崩れてきていると感じたことから
宇宙との触れ合いは始まったように回想する。




あぁ、私は“ひとり”で突っ走ってたのか…。



もう自分でどうにかしないとだなんて思わなくていいの?
何でもかんでも頼んでいいの?

ふつふつと浮かぶ不安が入り混じった気持ちを内面に向かって包み隠さず話しかけました。



『お前は決めるだけだ。』



随分経ってからそう返ってきた。


決めるだけ…?



『本当はこうしたいと私に教えてくれたら、
後はもう好きなことしてほかっとけばいい。』



そう言ってその声は消えてしまった。


本当はこうしたいあーしたいを決めることはできたけど
その後からどうなるのかな?とか要らないと思われる、いわゆる余計な思考が浮かんできたり
ワクワクするものの
まだかなぁ?なんて思ってたりしてモヤついてました。

この余計な思考こそが
決断を邪魔し、また【自分が、自分で】に戻っていることに後々気づいたのでした。


その思考は宇宙を信頼してない
自分自身さえも信頼できてなかったことにも
繋がった。



決めたら後は前から読みたかった本を読んだり

ゲームをしたり、やりたかった運動をしていました。


そうするうちに
【待つ】ことができるようになった様に感じました。



この【待つ】とは自分が自分自身の決断もですが、イライラした時に突き放さず自己受容できるまで待つとか、
宇宙のタイミングに合わせるようにという設定みたいなものにしてから
自分の決断を急かさないように優しく見守る感じと、
深い部分で温かいものを感じる様になって、
待つことに愛おしさが芽生えたのを覚えてます。



【自分が、自分で】という自分の本当の気持ちを待たずに、
あたかも自分はできるんだぞってコントロールしていた様に感じていたのも、
今ではそれさえも宇宙の餌食(いい意味で)にされていたのではないかと思っています。

結局は壁にぶつからせて目を覚まさせようとするんじゃないかっていう
これもきっと愛ある嫌がらせですね( ̄▽ ̄;)



『お前はどうしたいか決めるだけだ。』


それだけでいいんだ!?


今では個人で本当にどうにもこうにもならないと心底感じていて降参状態です。

本当に【自分がやる、自分でやる】だなんて苦しいし、しんどい、楽しくなかったです。
宇宙といっしょにやっていく人生は私とって心地いいことなんだと知りました。



決めたら待つ。


宇宙を待つ。
自分自身を待つ。


信じて、今日も好きなことをやりながら
待ちますよ。



いつも彼らはあなたのそばで待っています🪐✨

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