見出し画像

市川團十郎さん襲名披露公演 in 佐世保

去年の博多座、そして今年7月の八千代座に続き、今回は、私の地元である佐世保での襲名披露公演へお邪魔した。因みにこの3公演中、私的ダントツ一位は何と言っても八千代座。

佐世保は地方公演ということもあり、上演時間も短縮され、正直やや物足りなさはあったが、やはり歌舞伎を観るのは楽しい。今回は備忘録的に、演目の内容を簡単に綴りたいと思う。

『祝成田櫓賑(いわうなりたしばいのにぎわい)』

鳶頭(とびがしら)の右吉<市川右團次>。大勢の若い者を引き連れ、江戸の芝居町(*現在の浅草六丁目付近)に現れる。右吉たちが賑やかに踊っていると、別の鳶頭、道平<市川九團次>と芸者のお孝<大谷廣松>がやって来る。

3人は、この度の團十郎の襲名を祝い、成田屋とその一門の新たな門出を祝うためにやって来た。3人を茶屋亭主<片岡市 蔵>が出迎え、自分の店での休憩を勧める。

お孝は成田屋の大ファン。休憩などせず、一刻も早く襲名のお祝いを伝えたい。焦るお孝を、右吉、道平、茶屋亭主がなだめ、亭主は3人の座敷の準備のため、その場を去る。

その間、右吉は廓の内、傾城(けいせい=遊女)とその客、お大尽(だいじん=金を多く使って遊ぶ客)、二人の仲を取り持つ太鼓持ち(=宴席などで客の機嫌を取り、その席の取り持ちをすることを職業とする男)の3人の恋模様を踊ってみせる。

丁度そこへ若い者が現れ、右吉たちに打ちかかる。だが3人はそれをあしらい、改めて團十郎の襲名を喜ぶ。

『河内山(こうちやま)』

<第一場 練塀小路(ねりべいこうじ)河内山邸庭先の場>

ここは、お数寄屋坊主(=将軍や幕府の諸役人に茶を調進し、茶礼や茶器を管理する江戸幕府の役職)として江戸城で働く「河内山宗俊」<市川團十郎>の家の庭先。下谷(したや)にある質屋「上洲屋」のひとり娘「浪路(なみじ)」<中村蒼 玉>は、松江出雲守の屋敷へ腰元(=貴人の側に仕えて、身の回りの雑用をする女性。侍女)として奉公しているのだが、主人の松江候に見染めら、愛妾になれと言われている。

しかし浪路には既に決まった聟(むこ)がいるため、どうにか浪路を助けて欲しいと、上洲屋の親戚である和泉屋清兵衛から相談を受ける。そこで、礼金二百両を条件に浪路救出を引き受ける、という話が、この庭先で河内山の家来である「桜井新之丞」<市川九團次>に、主人の口から語られる。

<第二場 松江邸広間の場>

松江邸では、浪路の同僚である他の腰元たちが、彼女の身を案じている。何故なら、松江候の提案を拒んだ彼女は主人の怒りを買い、部屋に閉じ込められていたからだ。

そして松江候は、そんな彼女を手討ちにしようと、、、。しかし、近習(きんじゅ=主君のそば近くに仕える者)の「宮崎数馬」<大谷廣 松>にいさめられる。しかし今度は、この数馬までも手討ちにしようとする。

そこに重役の「北松大膳」<片岡市 蔵>が現れ、数馬と浪路が不義密通の仲であると言い始める。そこへ、家老(かろう=武家の重臣)の高木小左衛門<市川右團次>が現れ、松江候に、大名らしくない振る舞いだとなだめようとする。

しかし松江候はそれに激怒し、小左衛門を討てと大膳に命じる。するとそこへ東叡山(とうえいざん=東京上野寛永寺の山号)の住職より、使僧の来訪が告げられ、その場は一旦収まる。

<第三場 松江邸書院の場>

小左衛門らが出迎えるなか、河内山宗俊扮する使僧「北谷道海」<市川團十郎>がやって来る。道海は、松江家の興亡(こうぼう=盛衰)に関わる大事を伝えに来たと言い、松江候も渋々姿を現す。

松江候と二人きりになった道海。浪路の親戚である和泉屋清兵衛とは囲碁仲間である寛永寺住職が、清兵衛からの頼みで浪路を助け出そうとしていると話す。

しかし松江候、例え住職の頼みでも浪路は返さないと拒絶。すると河内山は、浪路の件を老中(ろうじゅう=江戸幕府で最高の地位・資格を持つ執政官)に告げ口するぞと脅す。

それをやられては敵わないと、渋々、浪路を返すことに同意する松江候。彼は家臣に河内山をもてなすよう伝え、その場を去る。

もてなしの準備をする家臣たちに対し、「山吹の茶」(=小判)を一服所望と言い、口止め料を請求する河内山。これに対し数馬が「扇子料」という名目で、河内山に金を渡す。

<第四場 松江邸玄関先の場>

松江邸を立ち去ろうとする河内山。それを大膳が呼び止める。

実は大膳、以前、江戸城で道海に扮する河内山を見たことがあり、彼がニセの道海であると追求。バレてしまったかと、自分の正体を明かす河内山。そして、自分の身柄を若年寄(=老中の補佐)に差し出しても良いが、その代わり、自分も浪路の件を暴露すると再び脅す。

そこに小左衛門が現れ、大膳をたしなめ、彼は仕方なく河内山を使僧として帰すことにする。河内山、大膳を嘲笑い、玄関先へ姿を現した松江候に「馬鹿め」と一喝し、高々と笑いながら松江邸を後にする。

以上が佐世保公演の演目。因みに「河内山」だが、9代目團十郎が河竹黙阿弥と共に作り初演した、成田屋ゆかりの演目らしい。

改めまして團十郎さん、襲名披露おめでとうございます!これからも色々な役柄拝見できること、楽しみにしています!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?