not for me:ショートショート
「あーん、もうどうしてこんなしちゃったのよー」
ざんばらになった私の髪を梳かしながら、美容師が悲痛な声を上げる。
そんなことより「どっちだろう」という興味が私の心を占めていた。
聞いてみたかった。が、昨今ジェンダーについてはセンシティブな問題であるから、まずは推理してみよう。
背は高い。だが背の高い女性はそこそこいる。
腰が細い位置も高い。しかし全体的に線が細いのでこれまたどちらとも言えそうだ。
デコルテから肩袖にかかってボリュームのあるシャツで判断しずらい。その謎な袖は髪を切るのに邪魔じゃないのか?
顔は丹精だ、美形であり化粧もしていて惑わせてくる。
そして少年役の女性声優を思わせるハスキーボイス。魅力的な声だが結局どっちかわからない。
もう聞いてしまおうか。接客業だし怒られることはないんじゃないかな。
でも、無邪気な好奇心による小さな積み重ねで付けられた心の傷があるのかもしれない。
ああ、多様性よ。
「向井さまー?かなり短くなっちゃうわよー覚悟してねー」
「はい。すみません」
「切りたくなっちゃう衝動もわかるけど…せめて根本からはやめてねー」
「はい、すみません。それより…」
「あなたはどっちですか?」は言えなかった。
「それより?」
「…」
「なにかあったのー?」
「…えと」
「んー?」
「鏡を、殴ってみたんです」
「はい?」
「でも、割れなくて」
「ちょっとッ怪我してない?」
美容師はケープをまくり私の手をとった。
端くれだった指に爪は短く美しく整えられている。尚のことどちらかわからない。
「大丈夫です。ジーンとしたくらいで痛くもなかったし、指も動くし、大丈夫です。」
衝動的だったけど、割るほどの力で殴る覚悟なんかなかったんだ、私。ザコいなあ。
何かをぶち壊してみたかった。
それで、目についたハサミで髪を切った。伸ばしていた理由もわからない。私にとっては「そういうもの」だった。
「うち、恵まれた家庭なんです
父は高収入で、母は元タレントで今も気の向いた時だけテレビに出たりして。
二人ともいつも笑顔で」
絵に描いたような幸せ。
「でも、嘘なんですよ。
父は、ずっと好きな人がいます。絶対に手に入らない人。だから仕方なく母で手を打ってる。
母は若い男性が好きで、自分に好意がありそうな子を弄んで若さを保ってる。でも、決して踏み込まないし踏み込ませない。ギリギリセーフなラインで楽しんでる。
うまくできてますよね」
「私は、そんな二人が正常であるように見せるための小道具です。
みんな言います。貴方は幸せねって。
私もそう思ってました。
そう思っている間は幸せでした。
でも、気づいちゃった」
この幸せは私の為に用意された幸せじゃない。
「脱出してみようと思ったんです。鏡でも割ったら虚像から出られるかなって」
「鏡じゃなくて、窓の方が割りやすかったんじゃない?」
「あ。そうか」
「でも、おうちの警報機鳴りそうね」
「それはダメですね。窓はダメだ」
…うちに警報機がついてることなんで知ってるんだろう。
「…美容師さん、母の担当ですか?」
「手は出されてないわよ」
だから半狂乱になった母は私をここに連れきたのか。
「私、別に両親の幸せは壊す気ないんです。
あの人達はやりたいようにやってればいい。呪っても恨んでもないんです。
ただ、私のいないところでやってほしい。私を小道具にしないでほしい」
私が虚像じゃなくなっても、あの二人は同じ態度でいられるのかな。
「貴女が独り立ちしたら、ご両親は『娘を立派に育て上げた卒業パパママ』になれるんじゃない」
「…ひとりだち」
高校卒業時か、一人暮らしか、それとも安定した収入を得られた頃かな…。
いずれにしろ…そこがゴール。
「そっか。
ゴールが見えると気持ちが軽くなりますね。
芸能人が熟年離婚するのってそういうことなんですかね。
卒業証書が欲しいだけ。
なら仕方ないですね。証書授与までは付き合ってあげないと。
私なしに発行されないヤツじゃないですか」
なんだボールはこっちにあるんじゃないか。
「えっと『どうしてこんなことしたの?』でしたっけ」
「?今、あらかた話してくれたじゃない」
「まあ、そうなんですけど、そうじゃないというか…」
…なんで髪切ったんだっけ?
小道具だって気づいたから?
どうして気付いたんだっけ…?
「えっと…あれは…」
ああ、そうだ。
「穂高くんが…」
鼻の奥に鉄臭い違和感を覚えた。
「好きって、言われたんです。同じクラスの子に」
「kwsk」
「k…?なんです?」
「詳しく話してちょうだい」
「くわ…しく…えっと、生徒会長で弓道部で女子に人気で…でも話したことなくて」
「断っちゃったの?」
「わかりません。て言いました。
そしたら、まず友達になってほしいって。
好きな事や嫌いな物を教えて欲しいし聞いて欲しいって言われて…」
「ああら、紳士的」
「でも、教えてあげられることなんか、なくて…好きなものなんかなくて」
パサリ。髪が一束落ちる。
「ピアノもバレエも小さい頃から習わされてるけど、
自分でやりたいと思ったわけでも、好きだって思ったことも一度もなくて。
発表会の度に買ってくるドレスも、髪飾りも、その為の長い髪も
全部、好きでやってるわけじゃなくて」
「私、なにもない。
好きな物も嫌いな物も、それに対して疑問に思ったこともない」
ダッサイですよねぇ…」
「嫌いなものはできたみたいね」
「…。
あ、本当だ」
「じゃ、次は自分で選んだ好きなものを集めていきましょ。
ああ、まずは顔を拭かなきゃね」
顔?
あれ、ぐしょぐしょだ。
目もうまく開かない。
「はーい、ちょっとしつれーい。冷やすから上向いてね」
椅子が倒されて、目の上に冷たいタオルが置かれた。
「ちょーとお色直しもしちゃおうかしら」
ベビーパウダーの香り
「どお、自信作よ?お気に召すかしら」
誰だ、これ。
「…きのこ?いや、た、たまご!」
「あ゛ん?」
鏡に映っている人物を私は知らない。
腫れた厚ぼったいまぶたに反して、清潔感のあるショートカットとサラサラした肌。
正面とサイドはすっきりしているが、後頭部にはボリュームがある。
あれだ、マリトッツォみたい。
「…すが、すがしい…」
「語彙力がなくなったわね」
なにか、言わなくちゃ…
「ええと、その…」
本当に語彙力が死んでいく。
端的に、
的確な言葉を、
なにか
…ええと。
…
「好き、です」
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美容師/本人は意図していないが性別不詳
向井 真衣/JK
穂高くん/向井の同級生
ヒロインの予想と裏腹に
両親はショートも似合うと写真を撮りまくり
穂高君は新しい扉が開いた。
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