はじめての演歌・歌謡曲 楽しみ方ガイド
演歌を聴くとワクワクするし、なんだか元気をもらえる。
自分の中でそれはJ-POPやクラシックを聞くときと同じ感覚なのだが、同年代になじみがないからこそ"不思議な感性"として捉えられることが多い。
ふと、オペラやクラシックの初心者向けガイドはあるのに演歌・歌謡曲のガイドはないことに気がつく。
今年の私のSpotifyまとめは1位が洋楽ポップス、
決して演歌ひとすじではないが、自分の楽しみ方や感覚をシェアすることで世間にうっすらある"演歌のハードル"のようなものを下げることができるかもしれない。
演歌って何から聞けばいいんだろう?お作法とかあるの?なんて、そこから知りたい人もいるだろう。(一応書いておくとお作法はない。全て自由!)
それぞれが自分の感性で聞くことが一番なので、正解としてではなくある1ファンのケース、楽しみの増幅の一助として読んでいただければ嬉しい。
演歌の楽しみはカバー曲
私の演歌の入り口は氷川きよしだった。
当時の氷川きよしは志村けんのバラエティ番組に出たり、Myojoなどのアイドル雑誌に出たり。クラスメイトとも「氷川きよしかっこいいよね」と言い合えるような空気ができている演歌界でも稀有な存在だったのだ。
ここでビジュアルだけでなく歌にハマり、歌謡番組にハマり、演歌にハマったのはクラスの中で自分だけ。この分岐点は何だっただろうか。
おそらく"カバー曲"の魅力に取り憑かれてしまった、のだと思う。
演歌のアルバムはカバーの割合が多い。
他のジャンルだと全編新曲、アルバムを順に聴くことでストーリーやメッセージが浮き出てくるものもあるが、演歌のアルバムはどこから聞いても楽しめるものが多いから、これが初心者にとって入り込みやすかった。
膨大な曲の中から昭和の名曲をさかのぼる手がかりにもなったのである。
氷川きよしは「演歌名曲コレクション」というアルバムを毎年出していて、昭和の名曲のカバーをする。
そこでうっすらと覚えた歌を今度はNHK「歌謡コンサート」で別のアーティストが歌っているのを見て、それぞれの歌手の歌い方の特徴を知ったり、アレンジやコブシの好みを知っていくことを中学生の私は無意識にしていたのだろう。
だんだんと歌手のキャラクターが掴めてきたところで「この歌、⚪︎⚪︎さんが歌ったらすごくハマるだろうな」といった妄想をしていくようになる。
年越しのアイドルのカウントダウンライブやK-POPのライブでもシャッフルメドレーやカバー曲のコーナーがあるが、それが毎週続くと考えてほしい。それぞれの曲の解釈や歌い方の癖が曲に反映される、あの喜びだ。
「ミュージックステーション」などの歌番組とは違った特色として、「BS日本のうた」や「うたコン(旧:歌謡コンサート)」は毎週軸になるテーマがあって、それに沿った名曲を歌っていく構成だ。最新曲はまとめて最後にコーナーがある。だから昔の曲を覚えれば覚えるほど(わかる!)(この歌好き!)が増えていくのだ。
今ではそれぞれの歌手がYouTubeチャンネルを持つことが増え、そこで他の歌手の曲のカバーをしている。
アルバムを買わずとも、演歌番組の放送を待たずとも、歌手の個性を知れる贅沢な時代が来るなんて思ってもいなかった。
私が頻繁に検索する曲名は「大利根無情(三波春夫)」、「無法松の一生(村田英雄)」、「望郷じょんから(細川たかし)」「みちのく挽歌(綾世一美)」だ。
どれも難易度の高い曲だが、個性が出やすくて聞き応えがある。
そうして覚えた曲の魅力と歌手の個性は、どちらも私の心を掴んで離さなかった。
急に悲しい歌はハードルが高い、入口としてのロック演歌
とはいえ、そもそも演歌の暗さとかいわゆるダサい・しみったれた感じも理解できる。子供の頃は親が見ている「演歌の花道」のテーマソングが半音コード続きで恐怖感があったものだ。
最初は暗くない演歌から聞いてみるのも手だろう。
いわゆる「ロック演歌」のジャンルは曲調の疾走感と和楽器、小気味よいコブシが相まって聞いていると爽快な気持ちになるものが多い。
代表的な作品で言えば「夜桜お七(坂本冬美)」「帰ってこいよ(松村和子)」「女人高野(田川寿美)」「じょんから女節(長山洋子)」「雪国(吉幾三)」など。
YouTubeなどでギタリストのマーティ・フリードマン氏が石川さゆりや八代亜紀とコラボレーションしたものを見るのもおすすめだ。
こういった曲調の演歌に馴染んでからその歌手に興味を持ち、歌い方が変わる静かな曲を好きになっていく…段階を得て、落ち着いた曲調のものにも溢れんばかりの魅力があることを知った。
「夜桜お七」も最高だけど、冬に聞く「能登はいらんかいね」の沁み方よ!
金ピカの金閣寺ではなく、いぶし銀の銀閣寺の魅力を知るのが大人になってからのように。お酒を飲むようになってから薬味や香味野菜のおいしさに気づけるように。演歌も自身の心地よいタイミングで楽しんでほしい。
歌手の個性がわかりやすく、魅力的
前段に「歌手の個性」というワードが頻出したが、演歌の肝はまさしくここだと思っている。
演歌の中にも細分化したジャンルがあって「ふるさと演歌」「股旅物」などがあり、それぞれの歌手が自分の得意分野を持っている。
その道のスペシャリストがハマった歌を歌うと魅力が爆発して気持ちいい。
ジャンルでなくとも「細川たかしは民謡の素地があるから声量が特徴だ」とか「藤あや子は色っぽい歌がハマる」とかそういった特徴を教えてもらったのが個性を知るきっかけになった気がする。
ここで面白いのは得意分野以外を歌った時。
鳥羽一郎は歌手を志す前、5年間遠洋漁業の船員として働いていた経験もあり、海を歌う漁師歌のジャンルで右に出るものはいないほどの存在だ。
しかし96年にリリースされた「カサブランカ・グッバイ」は都会の大人の恋を男女それぞれの目線から歌った曲である。
一見ミスマッチにも思える組み合わせだが、これがまたなんとも彼の声にはまっていて何度も繰り返し聞いてしまう。
話は変わるが、近年パーソナルカラーという自分の肌のトーンに合わせてメイクやファッションの"似合い"を知る指標が知られてきた。
その中でたびたび話題になるのが「自分に合わないトーンのものを身につけることの是非」についてだ。
青みがかった色が似合うのに違う色を身につけて肌色が暗く見えてしまうことを「事故」と呼んだりなどネット特有の窮屈な話題なのだが、そんな時にいつも私は「カサブランカ・グッバイ」を思い出すようにしている。
決して"似合い"ではないかもしれないけれど、違う世界観のエッセンスを取り入れた時の魅力の爆発ーー。
無骨な中にも色気が見えて、でもシャイな歌いっぷりが失恋ソングの世界観を増している。花柄やレースが合う診断結果の私がライダースジャケットやスポーティなファッションを取り入れてもいいだろうかと迷った時にいつも力を与えてもらっているのだ。
イエベ・ブルベよりも道しるべを軸に私のファッションは完成されている。
演歌の歌い手さんは歌手同士の関係性やボランティア活動など、生き様や姿勢で見せていく人たちが多いから、歌のみならず全ての要素からエンパワメントされる機会が多いのも魅力だ。
漫画のような世界観とその中にある代弁
演歌の歌に出てくる世界観って独特だ。
渡世人は現代にいないし、恋の花が咲く麦畑も近所にない。
「共感ソング」というトレンドが入る昨今、少し遠い世界観ではあるかもしれないが、逆にいえば見知らぬ場所に連れて行ってもらえるということでもある。
時々、演歌が3分間のドラマのように感じる。
漁師の歌、生まれ育ってもいない北国の歌、どれも短編小説を読んだ時のようなスッキリ感だったり、漫画のような非日常感のオンパレードだ。
1曲で完結する物語という点だけで言えば、BUMP OF CHICKENを聴く時の感覚に近いかもしれない。
海賊が身近ではないけれどワンピースを読んで号泣するように、私たちには違う世界の出来事ですら自分と重ね合わせられる力がある。
だから知らない世界の歌からでも仲間意識や相手を思う気持ちは一緒だと思えるのだ。
孫がいない人でも推しや誰かに対して「なんでこんなに可愛いのかよ」と思った経験がある人は多いはず。
一見リアルではない世界からリアルを見つけ出す楽しみを味わってもらいたい。
お財布にやさしく楽しめた
中学生の頃は演歌のお財布に優しい推し活システムに救われた。
当時、メインの主戦場はNHK歌謡コンサートの番組公開録音。
往復はがきを出して当選すれば行かれるので、運が良ければ毎週NHKホールに行っていた。
オーケストラの生演奏に一流の歌手たち、それを1時間におさめる現場の緊張感。それを一回60〜500円程度で見られるなんて贅沢にもほどがある。
途中でシステムが変わったが、最初の頃はなんとリハーサルを無料で見られた。私服姿で音出しする歌手を見たくて毎週火曜日のお昼は早退しNHKホールへ。同じ曜日の同じ時間に謎の体調不良を起こすため、学校では不審がられるそんな青春時代。渋谷まで数駅の学校に通っていたからこそなのだが本当に良い思い出だ。
さらに夏に行われる上野納涼演歌まつりや山野楽器イベントも当時は無料、上野に関しては現在入場料を取っているがそれでも500円である。
無料の恩恵を預かるだけだと申し訳ないのでそれでは、と併設の即売所でCDを購入するが、1枚1000円で名入れのサイン会と写真まで撮ってもらえる。
さすがに社会の仕組みを理解していない中学生の私でも(至れり尽せりすぎやしないか?)と不安になった。
その数年後、私は演歌業界に転職することになるのだが(今は別業界にいる)これだけリーズナブルにやっているのはやはり割に合わない。
ここは是正していくべき箇所だからおすすめポイントとして書くのも悩んでしまったが、座長公演やコンサートの価格にびっくりして(演歌はまた今度…)と思った人、まずはこんな楽しみ方で入り口に立ってみてほしい。
そこからCDを購入したり、YouTubeの再生回数を増やしたり、後援会で支えて番組リクエストなどを送るなどすれば好きな歌手のモチベーションと知名度が上がり、演歌界の未来に繋がると信じている。
師弟関係と未来を継ぐものたち
演歌歌手はユニットを組むことも多い。
(この人たちはなんでよく一緒にテレビに出ているんだろう)と最初は何もわからなかったが、どうやら演歌には師弟関係や実兄弟も多く、関係性が掴めるとグッと演歌番組を見るときの解像度が上がる。
そこで、稚拙ではあるが簡単な図解を作成した。
作曲家の先生が歌い手を育てることで発声の基礎ができるから息の長い歌手も多い。そこから民謡や浪曲への造詣も深まる。
それぞれのチームにカラーがあって、育ててくれた先生への恩返しの気持ちで歌うからスポーツを見た時の感動にも共通する部分かもしれない。
最近の演歌のトレンドとしては「歌い継ぐ存在」がキーだろうか。
これまでもコロムビア・ローズなど継承されるような歌手はいたが、
大江裕や木村徹二らは"師に当たる存在へのリスペクトと愛"がとても強いのが特徴だ。
幼い頃から演歌に触れ、憧れや目標である歌手の歌を少しでも知ってもらいたい、歌うこと自体が楽しい!という気持ちが伝わる素晴らしい歌い手たち。
好きなことを好きだと表現できる人たちのパフォーマンスは何にも増して尊い。
またSNSを通じた発信や、コンサートの合間のトークも大変に楽しく安心感がある。
この図を見ても分かるとおり、師匠にはそのまた師匠がいるのでEternal構文ではないが三橋美智也や船村徹の魂が伝わっていく感じも楽しい。
演歌が消えゆく文化や先細りのように扱われることも多いが、彼らの愛や姿勢を見ているから私はなんの心配もしていない。これからの未来も明るい。
日本のことを知れる接点だった
演歌の歌詞には地名が出てくることが多い。
故郷を想う歌や離れた恋人を探し回る歌などがあるが、これが各地の地理や特徴を理解するのに役立った。
佐々木新一の「あの娘たずねて」の歌詞は東京観光ガイドとして使えるような魅力の詰まり方なのだ。
大人になるまで国内旅行をする機会がなかったのだが、Jリーグの応援で各地を旅行するようになって気がついた、演歌は各地に「歌碑」が建つのだ。
今では旅行と合わせて歌碑巡りをするのがとても楽しい。
他人を知るには自分を知ることから、他の国の文化を知るには自分の国の文化を知ることから。社会に出て、たびたびこれを痛感する。
演歌は茶道や華道のように体系立てられ継承される文化ではないが、人々の生活に寄り添ってきた分口伝えであったり、こうして街を盛り上げるための歌碑として残るのが素敵だ。
旅先の観光地で石の塊を見つけたら「あれ?なんだろう?」とぜひ近づいてみてほしい。もしかしたらそれは歌碑かもしれない。
余談ではあるがJリーグの話題が出てきたので。
サッカーには客席のサポーターが試合中に応援歌を歌って選手を鼓舞するチャントという文化がある。
柏レイソルは数あるチームの中でも演歌・歌謡曲をチャントに取り入れることが多い。
こういう時に元ネタを知っていると(あの名曲がさらに魅力を増している…!)と喜べるのも楽しい。
レトロブームでもどこからでも大歓迎!
自分の幼少期、同世代間でも演歌の共通認識があったように感じる。
この共通認識ってなんだろう、と紐解いてみるが、おそらく「CDTV」や「速報!歌の大辞テン!!」といった番組の影響のような気がする。
CDTVは今のライブ方式ではなく毎週のチャートを50位から放送、J-POPがほとんどを占める中でちょこちょこ演歌がランクインするのがリアルだった。月に1度、100位からのランキング発表では演歌の割合が増える。それがひっそりと私たちの生活を邪魔せず、でも確実に入り込む感じだったのだ。
そういった番組が減って、生活の中での接点が減って能動的に演歌を吸収しに行かないと垣根が越えられないような気がしていた。
しかしここ数年、朝ドラの影響や近年のレトロブームの影響もあり、歌謡曲への接点はかなり増えている。
もしもそこから歌謡曲や演歌の魅力に触れたなら、どうか胸をはって歌謡曲が好きだと言ってほしい。知識がなくとも、年齢が若くとも、どんな人だって楽しめる生活や気持ちに寄り添うのが演歌だ。
「演歌はダサくない」なんて言わない、実際に垢抜けたジャンルではない、でもその泥臭さが落ち着くのだ。せんべろのような肩肘張らない安心感がそこにある。
最近ではSpotifyやAppleMusicでも演歌が聴けるから「たまには演歌でも聴いてみるか」と思ったらいつでも聞いて楽しんでほしい。