「大嶋の婆ちゃん」のままでは、あんまりにも忍びない。
あと数日で還暦の誕生日を迎えるという日の深夜。いつものごとく尿意で起き 、用を足し布団の中にもどるも、ぼんやりと心に思い浮かんでくるあれこれ。
ふと、わたしは母方の祖母の名前を知らないことに気づく。わたしが5歳の頃亡くなった祖母の名前を一度も訊ねたことが無いことに。
どうして一度たりとも訊いてみたことが無いのか。いったい何故、今の今迄そのことに気づかなかったのか。じんわりと後悔のようなものが込み上げてくる。祖母の名を母に訊こうにも、もう母もこの世の人ではないし、誰に訊けばいいのか。いや、叔母に訊けばいいのだが、あんまり連絡を取りたくないし…。
名前を知らなくても困りはしないのだよな…いやでも不憫すぎないか?
15歳で誰かの子を妊って祖父の元に嫁し、そのあと年子こそないものの、祖父の子を立て続けに7人産み、その2番目の子は産まれてすぐに病気で死に、その子と同じ病気で自分は失明するという、こんな過酷な人生をおくらざるを得なかった人の名前を、孫が知らないままでいるってあんまりじゃない?祖父も曽祖母も小姑も先妻の子にも使用人のように扱われて45歳で死んで、同じ女として忍びなさすぎでしょ⁈
ぼんやりだった思考はいつしか冴え冴えになり、そのまま呆然と朝日を拝む羽目になった。
大嶋という家についてはこちらのエピソードもどうぞ。