人種よりも細かい話
ヴィンランド・サガ21巻読み返していて、小学校の担任の先生の名字がWolfshol(wolfs hole)だったことを思い出した、懐かしい。旧西ドイツの北部だったからデンマーク人ぽい人も多かった。
北部ドイツ人と、オランダ人と、ベルギー人と、デンマーク人とイギリス人の10人以上の集団は多分見分けられる。でも個人では難しい。それぞれの集団から、ルーツにスペイン系またはイタリア系がいる人だけを抽出されたら全くもって難しい。
ドイツの20人学級で東欧方面からの転入生が来た時、俄然「違う子!」という印象を受けた(自分がガイジンなのはさておき)。まず髪の毛の色が違う。肌の質感や手足の長さのバランスも違う。その子との対比で級友達の共通点が認識されるようになった。
で、だ。この感覚で1980年に東京近郊のベッドタウンに引っ越して45人学級に入った印象は「部族の数多いな!」。ざっくり分けると、地元、地元長身、小柄、大柄、醤油系、味噌系…。
この時代わりと普通にみなさん「日本人は単一民族だから」とおっしゃったので疑問は疑問としてカタチにならなかった。が。
たまたま10年程前に仕事のストレスから平安〜鎌倉の歴史を鬼調べして「小説家になる!」と息巻いていた時、武家のルーツを調べる事がナショナルエリアの人事異動を想像することにつながって、いろいろと腑に落ちた。
大過去への素朴な疑問(氷河期以前はどこにいたの?アーキペラゴに来る前どうしてたの?)しかない、時代を下れるのは網野先生の室町までとして、このハナシはおしまい。