3 祖父の話②
子どもの頃、長期の休みによく祖父母の家に遊びに行った。
祖父はスポーツ中継に興味がなく、昼間やっている映画などを好んだ。居間の一人掛けソファーで微動だにせず「ランボー」系のコマンドーものを見ていたのを思い出す。
同じ居間で、途上国のドキュメントについて「かわいそうにな、こんな暮らしにどんな幸せがあるというのか」とつぶやき、それに対して正真正銘の元60年代ヒッピーでアジアを放浪した叔父が額に青筋をたてて「それぞれにそれぞれの幸せが存在する!!」とマジ切れしていた。
伯父と私の母は祖父に対して複雑なものを抱えていたようで、祖父の臨終前ですらそれまでの険しい姿勢を変えなかった。
詳しいことは知らされていないが、戦後ある時期までお酒を飲んで暴れたことや伯父が好んだ図画工作を高圧的に禁止したこと等を漏れ聞いた。それでも伯父は美術系の大学に進んだのだけれども。
祖父の死後、遺言として祖父から伯父への詫び状を渡したと祖母が言っていた。人類学的興味として何と書いてあったのか知りたい気がする。