見守る愛、踏み込む愛。
大切なひとが苦しい時。
どうすればいいのだろう。
大切なひとが愛を受け取れない時。
何をするのが正解なのだろう。
たぶんきっと
「何もしない」のが、今の私にできる
たった一つの愛情なのだろう。
けれど…本当にそうなのかな?
過分に近づいてほしくないけれど
だからといって見放されるのも怖いんじゃないかな。
適度な距離で“そこ”に居てくれたら嬉しい。
けどその適度な距離ってどうすればいいのだろう。
*
本当はね
どうしたの?
良ければ、話聞くよ?
そう言って、肩をなぜながら
話を聞いてあげたかった。
相手の望む距離感をはかって
見守ることに徹していたら
気づかないうちに相手の中で
私への不安や恐れが増幅していたようだ
私がどう思っているのか見えない
きっと嫌われる、今の自分では向き合えない
そうしてグルグルと考えを巡らせて
オーバーヒートをしていた
そんなんだったら。。。
そうなる前に声をかけてあげれば良かった。
差し出した手を拒否されても、差し出すことが大切だった。
*
見守ることも愛
踏み込むことも愛
その時、その時
どちらを選択するのが正解かなんて
どこに仕掛けているとも分からない
爆弾を踏むか踏まないかの世界で
どんなに、どんなに観察しても
見分けることができないほどに難しくて
それを違えてしまった時
「タイミングが合わなかったね」の一言で
終わらせたくなんてないのに
そうだと理解するしかないなんて
あまりにも世知辛くない?
*
その結果、今。
私はやっぱり遠くから見守るしかできない。
彼の心が健やかになるまで。
彼の心をざわつかせる存在に
私も入ってしまったから。
今、私にできることはなんだろう。
彼が今日一日、幸せを感じられるよう祈ること。
あと、許されるなら
彼が望むときにいつでも手を差し伸べられる距離で
いつでも、ここにいるよと伝えたい。