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note4年目を迎えて、変化した私の価値観

みなさん、あけのましておめでとう。
noteに記事を書き始めたのは私が元・夫と晴れて離婚をした年から。
2019年の暮れに離婚届を出し、2020年の1月からスタートした。

更新頻度は亀のように遅いが3年ほど続いている。
と、すると3年もあれば人の考え方も変わるようで。
自分の過去記事を読み返して知らぬうちに価値観が変化したと感じることがある。

今日はそんな私が3年前と今ではどう考え方が変化したかという話。

|結婚は修羅の道、果たして?


過去に書いた記事で反響のあった記事のひとつがこちら。

https://note.com/ladycloset/n/n5b2d699eb87e

当時インスタでサレ妻日記を読み耽っていた時期に書いたものだ。
男は浮気したがる生き物だから、妻は覚悟して知らないふりをするのが正しいのかもしれない。という結論で終わった記事。

今の私はこの記事に対してNOを突きつけたい。

夫(彼氏)が不倫(浮気)をしているかもしれない。そういう不穏な空気を漂わせていたら、どうするか。無論、感情的に突き詰めることはしないけれど、その空気を見て見ぬふりなどしないと思う。

良心の呵責に苛まれるほどに、いい女でい続けながらも彼から発せられる矛盾には面と向かって向き合う姿勢でいようというのが現在の結論になる。

だって、自分が不安や不満を持ちながらも表面的にうまくいっている風を装って結婚生活を続けるなんて無理だもの。それこそ文末で結んだように結婚そのものが修羅の道になってしまう。こんな結婚は絶対にしたくない。

|自分さえ我慢すればいいを捨てた

この3年間を経て私が大きく変化したもの。
それは、「自分さえ我慢すればいい」という概念を捨てたことだ。

当時は自分が我慢していると思っていたことはなかったのだけど、昔の自分の記事を読むとものすごく自分を抑圧していたなと感じる文章があって苦しくなる。

サレ妻記事もそうだが、男を立てる=自分の賢さを隠すという持論も自分が我慢すればそれで丸く治るという考えのもとに導かれた結論だった。

本当にそれが正しいのかは分からない。けれど、それ以外の道が見つからないと思っていた。女の意見を認めないのが男だ。意見をしたい私は我慢することでしか男に愛されない。どこかでそう思っていたのかもしれない。

だが、今は少し違った見方ができている。

私は私の持って生まれた、そしてこれまで培ってきた才能・スキルを活かして幸せになると決めた。たとえば、男を言い負かしてしまうくらい弁が立つことが私の声質だとしたら、それを抑えたりはもうしない。

だからと言って男を負かすことが目的ではない。私の賢さは、私が認めた尊敬すべき男のために発揮したいと思うのだ。私の賢さは、愛すべき人と戦うための武器ではない。愛すべき人と共に生きるためのツールなのだ。

以前の私はきっと心のどこかで男が嫌いだったのだろう。
パートナーと戦うことで自分の強さを見出したかったのかもしれない。

|変わったのは、絶望を体験したから

3年前と考え方も、男と女の向き合い方に対する考え方も大きく変わった。
おかげで出会う人の質も大きく変化し、2022年はとくに平穏で幸せな時間を多く過ごすことができた。

愛する人が増えた、愛する人との時間もたくさん持てた。
私が私を好きになれた、我慢することなく生きてそのままに賞賛をもらえた。
感謝に溢れた一年となれた。

もちろん一朝一夕にこんな結果を得られたわけではない。
むしろこの今の幸福を得る前には大きな絶望があった。

周りがすべて敵に思えて、孤独で一人の部屋にいるのが怖かった。
無音の自宅でただひたすらに訳もなく泣いていた。
友達が亡くなった。好きな人に振り向いてもらえなかった。
友達だと思っていた子から否定的な意見があった。

一つひとつがしんどく感じた。

いつになったら屈託のない笑顔ができるだろう。
いつになったら忘れられるのだろう。
ヨリなんか戻さなくていい、ただ笑顔で1日を過ごしたい。
強く願ったのが去年の3月あたりだった。

この絶望期は時間にするとおよそ4ヶ月くらいなのだけど
絶望していたから、小さなことに幸せを感じられるようになった。

枯らしていた草木が復活して幸せになった。
自分のために作ったご飯、美味しかった。
好きだよと好意を向けてくれるファンが増えた。

当たり前に幸せに浸かっていたら感じられなかった些細な幸せに目が向いた。するとなかったものではなくあるものに注目していって、感謝が増えた。

この絶望を感じた時間こそ、私が変われる大きなきっかけとなったのだ。

|自分よりも周りを優先していた

些細なことに幸せを感じられるようになって、幸福感が増した。
これは、絶望にいたから感じられた副産物のようなもの。

それ以上にもうひとつ大きな学びがあった。

私は自分を優先していなかったという気づきだ。
いつも自分よりも他人を優先していた人生だった。
たとえば、友達の間でお土産を共有すれば率先して残り物でいいと遠慮していたとか。相手の要望を優先するのはもちろん、自分のために高いケーキすら買ってあげられなかった。お金がない訳じゃないのにもったいないって思っていた。

彼に暴言を浴びせられても許していた。
彼の気持ちを慮って、大丈夫と言い聞かせていた。

実家でも、一時的とはいえ住まわせてもらっているから時折、生じる母のヒステリックと嫌味な発言に我慢しなくてはいけないと思っていた。

嫌なことを嫌だというよりも
嫌なことをなんか理由つけてなかったことにする方が
何百倍も楽だったから。

でも、そうやって自分の気持ちを蔑ろにすると不思議と人生は比例するかのように自分が蔑ろにされるような出来事が待っている。

なぜ、私は不幸なの?と思う出来事は全て自分が自分のことを無視しているから生まれた出来事なんだと気づかされたのだ。私が体感したあの絶望は、私が私を見て見ぬフリをし続けた結果のものだった。

|言いたいことを言って、愛される人生に


この3年間を通して私が変わったこと。
それは、我慢するという無駄に掲げた美徳をやめたこと。
そして言いたいことを言って愛される人生へとシフトさせた。

この変化によって、離れた友達もいる。
なくなった仕事もある。
家族関係も荒れに荒れた。

けれど、私は私を無視しない。
たったそれだけで幸せになれた。

すると言いたいことを言ってそれを認めてくれる友達に出会えた。
言いたいことを言って、関係が良好になった男性に出会えた。
なくなった仕事の代わりにやりたかった仕事が降ってきた。
家族関係は相変わらず良好とはいえないけれど、私の気持ちを伝えられただけで満足だ。

何かを失う怖さが薄らいだ。
そうなるのは必然だったと思えるようになった。

なんだ。言いたいこと言ったって私は幸せじゃないか。
我慢なんていらなかったんだ。好きなように生きて好きに振る舞う。
それでうまくいかないことはうまくいかないままに受け流せばいい。

自分の心地よさを軸に人生を決めればいいのだ。
そうしたら冒頭に伝えたようなサレ妻記事にも違和感を覚えるようになった。

私は今もし、サレ妻になったら気分次第で離婚も厭わないだろう。
無論、サレ妻になるにはパートナー間に何かしらの原因があるからその原因を明確にした上で必要があるなら別れればいいし、再構築の可能性がありそうなら再構築をすればいい。

ただ、起こっている問題をなかったままにだけはしない。
これが3年という月日を経て私が変わったことだ。



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