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ヤキモチ

ある種のヤキモチだったのだろうけど。

なんていうか、そのタイミングでは、私に対するちょっとした攻撃に感じた。

ヤキモチという感情は、ある種、そういった強い反発的な行動を引き起こさせるのかもしれない。

私は、その会話の途中で、喋るのをやめた。結局、その感情の状態で、こちらが何かを言っても、結局は、強いエネルギーで押し返してくるからだ。

それは、結局、自分を正当化する。もっと言えば、守ろうとする。傷つきたくないという気持ちから起こっていることもわかっている。しかし、エネルギー自身は、どうであれ、強い。

だから、それに対しては、行動や、言葉での反応をするのを止める。

こちらとて、話せば話すほど、エキサイトしていく。

あらぬ方向や、あらぬ言葉を発したりする。その言葉の意味よりも、理解してくれというエネルギーを発散したいからだ。脳みそのネジが外れている状態だ。

それは、ある種の心地よさも与えられる。ドーパミンが出て、興奮しているからだ。興奮はネガティブであれ、ポジティブであれ、同じエネルギーだから、脳みそはちゃんとは理解できない。

しかし、発せられた言葉は、相手に強く響く。時として、大きなダメージを与える。より傷つく方向に向かわされる。

なので、喋ることをやめ、ただ、その場にいるようにした。

そして、その訳のわからない。始まりは大したことのないはずだったが、大きく成長したエネルギーは、収まっていく。

それは、興奮状態にある男性が、すっとその興奮がおさまっていくかのようだ。

日常であれ、非日常であれ、エネルギーそのものの持つ力は、同じだ。

言葉を止めたことにより、静寂と、落ち着きを取り戻し、次の話題に移っていき、結局は、楽しい会話へと変わっていった。

その楽しい会話の中で、相手は、心から反省したような声で、Sorryといった。興奮状態の中で言っていた謝っている言葉と同じなのに、そこには全く違うものが存在していた。

そうなのだ。その存在している何かが、大切なのだ。

それが、常に見失うことなく、自分の中にも存在し続けていれば、何も、言葉を止める必要もない。

なぜなら、それこそが愛だからだ。

愛を与えるとか、受け取るとかではなく、その状態、その存在そのものが愛だからだ。

それを愛と感じる必要すらないかもしれない。

空気のように存在しているものだから。

ヤキモチの根源は、相手に対する愛ではない。

自分に対する愛が、そのエゴが、感情、ひいては、行動となって現れているだけだ。

いけないことではない。

それが、魂の成長の過程であることに気づくことが大切なことだ。


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