歌を教えるということで気づいたこと。
私は、基本的には、カラオケでは歌わない。カラオケで歌う人達が考えていることを、感じていることを理解せず、音楽教育を受けている人や音楽にプロフェッショナル的に触れてる人の視点を、そういった純粋に、自分らしく歌を楽しんでいて、さらに、その中でもう少し進歩してみたいという人たちに、押しつけていたことに今日気づいた。
音楽というのは、どこにもボーターがないことが素晴らしいことだと思っていたのにだ。音楽をすることに、差別がないことを誇りに思っていたのにだ。
国境も、年齢も、性別も、経験値も関係ない。
どんなスタイルであっても、正解も不正解もない。
そういうことだと思い続けてきた。
そして、その通りだと思う。
ただ、よい悪いは。存在するが・・・
しかし、その基準ですら、個人の感覚に任されているのだ。
なのに、私は、ある種の差別をしていたのだ。
今日、カラオケでレッスンをした。今までのボーカルを教える中で、コンスタントに、カラオケボックスで教えることがあると思ったことがなかったのだが、今、熱心に通ってくれる少し年齢の高い演歌好きの男性を見ていて、カラオケでレッスンすることもいいのかもしれないと思い出して、それを2回に一回している。
彼は、自分の歌っている音程がいいかとか、どんな感じで歌っているのかとか、感覚的なことは、いつもわからないという。
ところどころ音を外すことがあり、まずは、そこに悩みを持っていたが、、、自分は正しく出しているつもりなのだが、外れていると周りに言われるのだと言っていた。
もうすでに、一年以上のレッスンをしている。片道、1時間半くらいの距離を移動してている。
初めは、実を言うと、彼に、どうやってレッスンをしたらいいのかわからないと言う感じだった。だから、彼が語る言葉に耳を傾けることで、そこから生まれる何かについて、ゆっくりゆっくりと進めていった。
私のレッスンは、どんなものであれ、どんな対象であれ、相手の言葉に耳を傾け、その向こう側にある本当の気持ちや、事実を見ていくというスタイルだ。
しかし、音楽というジャンルのおいては、私が、そこに入り込みすぎていて、ある種の客観性を忘れていたのかもしれない。
しかし、あまりにもわからない彼の登場によって、私は、ある意味の私のブロックに気付いた。
さらに、私の今の信じれらないくらいの奥深い自己探究の毎日が、その扉を開く助けになってことも、間違えない。
どれくらい一生懸命やっても、相手は、変わらない。私の努力は報われないという感覚からくる私の感情だろう。
その根源はどこにあるのか?
一つの原因を突き止めたとも言える。
またどこかでそれを書く機会があればいいなと思うけれど。あまりにも個人的なことだからね、どうなんだろう。後何年もしたら、できるかもしれない。
しかし、少なくとも、このカラオケが好きな男性の少し紅潮した笑顔を見ることと、実際に、驚くほどのachivementの結果は、本当に嬉しいことだ。毎日、泣きながら、自分に向かい合っている結果として、本当に嬉しく思う。
今、特に、山羊座は、最後の整理の時間を迎えている。ここから逃げずに、いることが、次のレベルへ私を連れていってくれることを、信じている。
本当に風の時代が始まるのだ。
個人、テクノロジー、仲間、軽やかさ、人類が今まで出会ったことのない世界なのだ。
想像などできない。
ただ信じられるのは、自分のみだ。
それにしても、私って何をやる人なんだろ。ここにブログをつらつら書き始めたら、色んなことやっていることに気づいた笑
あなたは何をやる人?