感謝とコミュニケーション
昨夜は、SSD受講初日。
私は、コーチング、波動調整、NLPなどなど、今考えると、マニアなのか?というほど、こういったコミュニケーションや、自己統合的なことを学んできた。
そりゃあめっちゃお金をかけた。
どこへ向かっていっていたのかというと、決定的なものをみつけたかったし、私自身というものを知りたかった。
私のやらかす数々のこと、いいこと、なんて馬鹿なことをしたんだっていう時の全てを、私として、ヨシそれで良いのだよと、自分に言ってやりたかったわけだ。
例えば、感謝をしなさいと、そうすれば、良いことがある。(ま、こんな単純な言われ方はしないけど)
感謝の波動こそが、一番なのだ。
などなど言われても、感謝してないのに、感動してないのに、ありがとう、感謝してますなんて言うのは、とっても居心地が悪い。この居心地の悪さを超えても、いうべきなのか。言い続ければ、それが本当に感謝の気持ちになるのか?
と思い続けてきた。
喉のチャクラの第5チャクラがいまいちちゃんと開いていないとよく言われていた。それは、言いたいことが言えていないのだとも言われた。
言いたいこととはなんだろう?
私は、比較的物事をはっきりいうタイプで、言いたいことは言えているタイプと、きっと外からは思われているだろう。
しかし、きっと、何か、私は本当に伝えるべきことを、どこか胸の奥に仕舞い込んで、それすら見えなくなっているのかもしれないとも思い続けてきた。
そして、今日SSDを受講した。
体が教えてくれる、コミュニケーションの型ということだ。
まあ、詳しくは、まだうまく言えないので、私にその後起こった事だけ、ここに書く。
そこで習ったことを、その会話の中で言うチャンスがなかなかなかった。でも、私は、今日この会話の中で、しっかりと相手に伝えなければ、いつ伝えるのだと思っていた。会話の最後に、相手が、もう行かなきゃと言い始めて、初めてそのチャンスを掴んだ。
私の気持ち、感情を伝えた瞬間は、相手は、まるでそれを無視するかのように、話を続けていたのだが、私は、それでも、自分の気持ちに素直になることを自分に課した。
すると、相手は、相手の気持ちを語り出したのだ。私は、そして、私の今の気持ちを素直に、伝えることができた。
そこから、急に、声のトーンも変わり、喋り方も変わり、いわゆる波動も変わった。
習った通りにできたとは思わない。しかし、少なくとも、私は、自分に正直であること、自分の感情を受け止めることにフォーカスし続けた。
結局、向こうが電話を切ると言った時から、1時間も経過していた。
そう言うものなのだ。
今日の受講のテーマ。肩甲骨が痛い。凝っている。と言う症状。今、背中を触ってみると、さっきより凝っていない。というか、右肩甲骨の周りが、軽い。
感情を伝えることができると、感謝が生まれる。
さらに、嬉しいことに、肩甲骨周りが軽くなる。
そして、今の私は、幸せを心から感じた。
感謝も幸せも、得ようとして、得られるものではない。
そこにあるものなのだと言う感覚だ。
あなたのことが好きだと言う感覚は、考えたから、あなたを好きになるのではなく、それは、そこにある感覚だ。
感謝も幸せもそう言うものだ。
自然に起こるものだ。