自分をシェアすること
特に、こうあったらいいとかそう言った思いを捨てて、ただ、自分をシェアしてみることは、いいことだ。
シェアというのは相手があってのことだ。それが、大衆であっても、たった一人の人に対してということであっても。
自分が自分に何かをシェアするということはない。
自問をすることはあっても、それは、シェアという感じではない。
ってことは、どうであれ、そのシェアにはなんらかの反応が返ってくる。
賛成。反対、いまいちわからない、気づきなどなど。
仮に相手が、無反応のように見えても、シェアした側には、何かが降りてくる。
そんなものだ。
先日親友に、毎日のようにこのFacebookに書いていることを、どこかに書き留めておくといいんじゃないと言われた。
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ので、ここ、Noteに書き置くことにした。
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そして、もう14連続投稿になり、へえッと思って、眺めてみた。
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なんとなく、自分の現在位置が見えた。
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そして、それを仕事のパートナーにシェアしてみた。一緒に、そのNoteを覗いていたら、彼女がいろんなものを発見していた。
Noteの面白い仕組み。
そこから何ができるのか?
そして、私が実は何を目指しているのか?
私は、彼女のNoteを薦めたかったわけでも、その使い方について、なんらかの意見を聞きたかったわけでもない。
ただ、こんなことを始めたんだとシェアしただけだった。
しかし、我々の関係は、何かを見たら、それをどう活用できるんだろう、どうしたら相手のためになるのだろう、どうしたら自分をよりよくできるのだろうということをたくさん考えてきた仲間だったので、自然と、面白い化学反応が生まれてきた。
これは、ある種のシンクロニシティであり、奇跡である。
私は、性格上、常に、なんらかの結果を期待してしまう。
しかし、その期待は裏切られることが多く、そのため、かなりいろんなネガティブな感情が生まれやすい。
しかし、性格や反応を変えることにフォーカスすることは、よくない。というのは、結局、変えようとしているのは、自分自身だからだ。結局は、同じところをぐるぐる回ってしまう。
それよりも、話す相手から得られる何かを、再度自分の中に落としてみる時、大きな一歩が見えてくる。
要するにだ、良き仲間を作っておくことが、何よりも重要だということかもしれない。
良き仲間、良き関係とは何か?
自分の素直な気持ちや考えを、何にも気にせず話、シェアできる関係ということだ。
どうしたら、その関係が作れるのか?または、そんな人を見つけられるのか?
わからないなあ・
多分、自分に正直でいることなのかな?
まあ、いずれそれがわかったら、書いてみようとは思うけど。
ともかく、シェアするということは、結果的に、化学反応が起こるということには間違いない。