見出し画像

住み家 ーショートショート

「ねぇ、遂に薫のところも静岡ですって」
 お玉を手にした操が振り向かず呟く。
「橋本さんと高橋さんも福島だし、何か寂しいわねぇ」
 薫は操の妹、橋本さんと高橋さんは同じマンションの元住人だ。義妹家は薫も旦那もオフィスワーカーだし、橋本・高橋家もSEとデザイナーかなんかだったはず。まぁ順当なところだろう。
 目の前におかずが差し出される。今日は肉じゃがとさやいんげんの胡麻和えか。箸を取り、手を合わせる。
「今日は和樹、課題提出が一番早かったのよ。たまたま見てたら見ないでって怒られちゃった」
 一人息子の和樹は七歳、小学二年生だ。〝誇らしい〟が〝恥ずかしい〟に変わるには少し早い時期ではあるが、どうなのだろう。
「あなたも何とかなればいいのにねぇ」
 ため息をつきながら味噌汁が差し出される。こればかりはどうにもならないのだから仕方ない。受け取った味噌汁を啜ると滅多に出ない白味噌の風味が口内を満たし、鼻から香りが抜けた。やはり白味噌はいい。その味で育ったのもあるが、サラリとした味が和食にはよく合う。
 そういえば和樹はどうしたのだろう。まだ午後の七時では寝るにしても早すぎる。肉じゃがを口に入れながらリビングから続く扉を見ていると、
「和樹なら孝也くんとチャット中。来週の学習発表会の打ち合わせですって。いっちょ前に仕事みたいな口ぶりなのよ」
察知した操に説明を受ける。そうか、学習発表会は来週か。ふーん…。
「来週の水曜日よ。午後二時から。見られるわよね?」
 冷蔵庫の横からすごんでくる操に慌てて頷く。やっぱ俺も見るのか。ヤバいなぁ、何とかしないと。
 頭の中で来週の仕事を振り分けていると軽い足音に続き扉が開く。和樹だ。
「あ、お父さんおかえりー。お母さん、さっき孝也に聞いたんだけど明日ドラスピの更新があるんだって。昼休みにやっちゃダメ?」
 通称ドラスピ、ドラゴンスピリッツは小学生を中心にユーザーを集めるオンラインRPGだ。クラスメイトの孝也に勧められて始めた和樹もすっかりハマっている。
「ダメよ。昼休みは目も休めるの。それに休み時間だけじゃ終わらないでしょ」
 一刀両断。味噌汁の具を頬張りながら母子の攻防を傍観していると
「ねぇ、お父さんもダメ? 更新だけでもしときたいんだよう」
話題がこっちに投げられる。参ったな。
「お父さんはまだご飯中でしょ。それより、課題は終わったの?」
 追い立てる操に不服そうな和樹。仕方ない。急いで残りの米とじゃがいもを口に放り込み咀嚼。男子の付き合いやゲームの楽しみも貴重な時間だ。
「更新だけ昼休みにかけておくぐらいならいいだろう。ただし、課題があったらそっちが優先だし、更新以上は昼休みも禁止。それならいいんじゃないか」
「お父さんはいいって!」
 俺の援護射撃に、和樹が間髪入れず操へ返す。苦い顔だが、更新だけなら画面を見続ける訳でもないから反対もしずらい。
「仕方ないわね。その代わり、ちゃんとお父さんの言ったこと守るのよ」
「はーーーい」
 調子のいい返事を残して自室に引き返す和樹にため息ひとつ。更新OKの報告を孝也にするんだろう。子どもは適応が早くてある意味助かるというか。
「さて、ご馳走様。味噌汁が白味噌なんて珍しいね。美味かった」
「地元応援セット頼んだら入ってたのよ。たまにはいいわよね、白味噌も」
 うちは二人とも関西から東京に出てきた人間だが、なかなか帰省もできないため操はちょくちょく通販で食材を購入している。義妹家が静岡に居を移したのも、東京通勤圏内でありつつも実家に少しでも近づくためだろう。もうちょっと時勢が変われば、通勤圏内である必要すらなくなってくるはずだ。その時は上洛を果たすのか、公務員である自分には義妹家の動向は少し気になるところでもある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?