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世界は宝物で出来ていた
私が人の親になって一番変わった視点と言えば、タイトルの
世界は宝物で出来ていた
ということだ。
私は3人兄弟の末っ子に産まれ守られながら生きてきたのもあり、「誰かを守る」「他人に対して責任を取る」という感覚がわからないまま大人になった。
末っ子だからと言っているがそれはきっかけに過ぎず、「人は人、自分は自分」タイプなので、良くも悪くも人に対して強い感情を抱くこともなかった。
基本ゴーイングマイウェイで打っても響かずタイプなのであまりないが、ごく稀に強い感情や激しい感情を向けられることはあった。
しかし気持ちがわからないため「??なんか大変そうだね」とスルーしてしまっている。
しかし子供が生まれて初めて「誰かを守る」「他人に対して責任を持つ」シーンがやってきた。
正直そのポジションは性格上やりたくなかったが、不思議なもんで普通にできている。(もちろん完璧にはできていない)
子供という存在はカワイイ。
顔もカワイイ。
くるんとした髪の毛もカワイイ。
生えたての歯もカワイイ。
笑顔もカワイイ。
泣き顔もカワイイ。
ムスッとした顔もカワイイ。
短い手足もカワイイ。
はち切れそうなお腹もカワイイ。
こうゆう造形的な可愛さがあり宝物なことはもちろんだが
妊娠の時のつわりでリンゴしか食べられなくなったこと
妊娠後期太り過ぎて生きてるだけで精いっぱいだったこと(体が重すぎて)
出産後、穴あきクッションが無いと(あっても)座るたびギャアアと叫ぶほど痛かったこと
全く知識もない素人二人でいたいけな生命体を守るという謎しかないの3人生活がスタートしたこと
夕方以降は睡眠するまでずーっとギャン泣きな1か月間で、つられ泣きする日々だったこと
深夜に眠い目擦ってミルクを作ったこと
2か月目に初めて夜~朝まで通しで寝れたこと
両親に子供を見てもらって初めてゆっくり夕ご飯を食べられたこと
キリがないけど、こうゆう思い出(というか苦労w)含めて宝物というか。いや、こういう思い出(いや苦労だよw)があったからこそ、余計宝物なんだよな~と思う。
そして、私がわが子に抱いている「宝物」という感覚は、おそらく多くの親御さんが思っているのだろう。
そして私も両親から見たら宝物なのだろう。
道行く学生さんたちはもちろんのこと、スーツを着たお兄さんも、作業着を着たおじさまも、店員さんのお姉さんも、レジのおばさまも、みんな親から見れば宝物だ。
恐ろしい。尊すぎて恐ろしい。
こんな宝物ばっかりの世界に生きているとは、なんと素晴らしいことか!
これ、早くから気付いている人ってっすごいな!!
綺麗ゴトなしにそう思った。
子持ちの人は、これわかるよね?そんあことない??
(え、これ出産ハイ?もう1年4か月経ってるからさすがに違う?)
「世界は宝物で出来ている」ということがわかると、宝物同士で争ったり優劣つけることが、なんともったいないことだろうと思ったよ。
宝物である存在が自ら価値を下げに行く(負けに行く)必要なんてないのに。
私も宝物として、誰に勝つとかそういうのじゃなくて「私が思う幸せ」にまっすぐ向かっていきたいと思った。
だって、宝物だもん。そんぐらいはしないと宝物である私に失礼だ。
宝物と思ってくれている両親にも失礼だ。
読んでくれてるあなたももちろん宝物。
宝物のプライドを誇って生きていこうね✊